un deux droit

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ブログ執筆は脳の清掃活動である

今週のお題「現時点での今年の漢字」

「書」

ブログを書くことそのものが日常に溶け込みつつある。どれだけ忙しくても、むしろ忙しいからこそ、精神の安寧のために書いている。
タイプもしくはタップすることを「書く」というのは違和感がないでもないが、脳内処理は「書く」ことをやっているので「打」でも「押」でもなくて「書」ということにする。

小学生の時は、読書感想文というのがすこぶる苦手で、夏休みのたびに半べそを書きながら仕上げていた。
「感想」ってなんだよ、面白かった、以上、でいいじゃねーかと思いながらも、指定された文字数に到達するために意味のない内容の要約で埋めていた。(いまでも読書感想文の書き方についてはちゃんとレクチャーが欲しかったと思っている)
大学進学時も、卒論がないという理由だけで法学部を選んだりもした。
それくらい文章を綴るということを敬遠していた。

このブログを始めたときも、自分の言いたいことがうまくまとまらず、苦労して書き上げても読み返すとこっ恥ずかしくなって、消したりしていた。紙の日記はつけていたので、文章を書くのが苦手というより、自分の書いた文章を人に見られるのがなぜか苦痛だった。

今ではなんの躊躇もなく駄文を垂れ流しまくれるようになっているのは、単純に慣れだ。書きまくれば書きまくるほど指が澱みなく踊るようになることがようやくここ1年で実感できるようになった。書きたいことは打ち込みながら並行して脳内でまとめる感じ。打ち込む5文字前まで自分がなんと書こうか決まっていないくらいのギリギリ感でも十分に間に合う。多分ピアノが弾けるようになる感覚もこんな感じなんだろうな。

いくら内容がくだらなくとも、自分の思考を定期的にまとめる習慣は脳みそが元気になっている気がしてとても気分が良い。たぶん何かを表現してやろう、ということではなく、脳内をお掃除している感じなんだろうな。ホコリが溜まってきたら定期的に掃き掃除。習慣化してしまった今となっては、ブログに書き出さないと脳みそがゴミ溜めのような感触になってきて気持ち悪くなってくる。更新量の多い人はそれだけゴミの溜まりやすい大変な環境にいるのだと勝手に思っている。違ったらごめん。