un deux droit

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売上はもういいぜ

売上2000万円強のプロジェクトを同僚に譲った。
たまたま自分の担当エリアからのぽっと出の案件で、こちらから提案したわけでもなく、したがって私の強みも活かせず、興味もない領域の仕事だった。ただ、利幅も大きく、納品物も定型のもので頭を使う必要もない。一方で工数はそれなりにあるので、単純に時間と金銭を交換するだけの営みだ。「数字の達成」が営業の唯一無二の成果指標だと信じて疑わない「古い」営業マンにとっては、喉から手が出るほど欲しい「オイシイ」案件である。
顧客から声がかかった時点でだりぃなぁ、と思っていた。たしかに来期の目標達成は遥かに楽になる。しかし、どうせ再来年にはなくなるスポット案件なので、再来年の種まきの時間が奪われると考えたら手放しに喜べない。この案件をこなすことで得られる知見もない。この案件を引き受けることで手にする来年度末のボーナス加算額はせいぜい50万くらいだろう。その50万と引き換えに失う時間と機会を私は惜しんだ。

私はこの手の案件を喜ぶ「古い」営業マンYに声をかけた。以前とある拠点の支店長を張っていたが、構造改革により拠点ごとの管理職ポストが一掃されて機能別に切り替わった際に、役割をあてがわれなかった役なし管理職だ。自分の数字を持ちながらも他の営業のサポートをすればそれも評価になるという曖昧な立場を与えられていたので、そこに甘えた。
「Yさん、この手の仕事膨らませるの得意ですよね。予算がこれだけあるんで取りこぼしたくないんですけど、うまく取りまとめ協力してくれませんか」
案の定、Yはホイホイついてきた。
そして過去の技術を存分に駆使して予算の満額に近い案件に整形し、見事受注を取った。この辺は流石だなと見ていて惚れ惚れする手捌きだ。残念なのはこの案件の性質的にその先の事業展開が存在しないということだ。仕事をどう捌くかよりも、何の仕事をするかの方が遥かに大事なのだが、彼はこの手の仕事を如何に華麗に捌くかということに長年心血を注いでいた。統計上は得点の期待値が下がることが判明してしまったバントの職人をひたすら続けているようなものだ。

話がまとまりを見せた商談の帰り道。私はいよいよ本題を切り出した。
「Yさん、行きがかり上、私が主担当という形で話が進んでますが、顧客ごとYさんの担当に付け替えた方が自然だと思うんですよね。実働はほぼYさんなのに、私の実績になるのは心苦しいですし、その名目の維持のために1人で回せる仕事をわざわざ2人で同行して粗利を下げる必要ないですし。」
「え、それであんどうはいいの。この売上大きいじゃん。俺は支援したっていう形でちゃんと評価はされるから気にしないでいいんだよ」
「私は自分の既存の顧客で頑張るので気にしなくていいです。会社全体の利益を考えたら最適な人員数で回した方が良いですから」
こんなおためごかしを使って半ば強引に押しつけた。

Yは明らかに戸惑っていた。
自ら数字を手放す営業マンの存在が信じられなかったのかもしれないし、こんな美味しい話を素直に喜ぶ姿を露骨に見せられないと思ったのかもしれない。けれどもおそらく本当は「支援」というポジションに固執していたのだと思う。管理職としての実質を奪われたYは、都度の案件で形式的にでも年若の営業支援をしているという構造が働きがいの拠り所だったのだろう。その拠り所への梯子を外されて、俺たちはただの作業者に過ぎないのだ、という事実を間接的に突きつけられたことに傷ついたのかもしれない。
しかし私も彼の仕事を観察してあげて尊敬と感謝を捧げ、彼の自己肯定感を満たすために自分の時間を費やしたくはない。私は福岡の僻地で社内の誰にも仕事の価値を観測されることなく黙々とやってきたのだ。他人から認められる環境が如何に贅沢なことだったのか、そして最後は自分で自分を褒めるしかないのだ、ということをYも知った方がいい。