un deux droit

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父親としての第一段階到達

16時ごろ、保育園から電話が。聞けば、次女が38℃の発熱とのこと。大急ぎで荷物をまとめお迎えに。次女の好きなプリンにゼリー、ヨーグルトを買い込んでから保育園に行くと、ケロッとした様子で元気に走り回る次女の姿。「なんか熱下がっちゃったみたいです、すみません」と恐縮されるも、いつものようにピンピンしている次女を見て安堵。数日看病する覚悟でいたので、元気で困ることは何一つない。ちょっと早い夕方の団欒を家で楽しむ。

次女の大好物であるカニカマ雑炊をたくさん作ってやり、何杯もおかわりしている様子を微笑ましく眺めている時、ふと、仕事を融通した心理的負担、後ろめたさ、口惜しさを何一つ感じていないことに気づく。ただただ娘の病状を心配し、移動中の電車内で淡々と残務処理をスマホでこなした。このイレギュラーがなければと、仕上げられたはずの仕事を未練がましく思い煩い、娘を恨めしく思うなんて感情はついぞよぎらなかった。本音の優先順位ですら完全に、家庭が仕事を上回ったのだ。

生物的に父親になって6年目だけど、ようやく父親になれた気がする。父親とはどうあるべきか、と頭で考え、精神的葛藤を律することなく適切な行動を選べたのだ。考える前に身体が勝手に動くというのは、心技体でいうところの「体」、すなわち「型」が身についたということだろう。いつの日か技を身につけ、父親の心とは如何なるものかを見極める境地に辿り着きたいものだ。