un deux droit

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腐ったニンジン

来期以降に運用開始される新人事制度の説明会があった。既存の「年功給」による賃金の「高止まり」を解消すべく、「年功部分」を8割に圧縮し、残り2割を「役割給」として変動制にする、というもの。これにより、あまりに発行を乱発しすぎたために、具体的な職務の伴わない「勲章」に近いものになっていた部長、課長などの「役職」の意味をリセットし、実質的に担っている仕事の価値によって給料を決めたい、ということらしい。責務を与えた人間にその能力がなかったのであればまた別の人間を登用するだけでいいと思う。しかし、その采配で恨みを買うことを恐れた経営陣が人事制度ごと変えることでその任命(失敗)責任を取ることをうやむやにしたのだ。経営陣が保身しながら給料の付け替えを自由にできる裁量を握るという、なんとも虫のいい仕組みである。
どの仕事がどれだけの値打ちなのかという「ジョブの値段」があらかじめ決められているわけではなく、一人一人の仕事の価値を、経営陣の主観で値決めするという、ハイパー属人的査定が今後なされる。経営陣の「気に食わない」が、「こいつの役割の価値はこれくらい」という形で「値引き」されることが合法化されてしまった。
この制度の終わっているなと思う点が二つ。一つは、社員全員の査定に経営陣が関与すること。経営陣は仕組みと部門ごとの人件費総額だけ決めて、その配分は個々の仕事の価値を理解している部門長に委ねるべきなのに、絶対にその権限は手放さない。金で人を思い通りに動かしたいという執念がおぞましい。
そしてもう一つは、そもそもの賃金が低すぎて、8割の固定給しか保証されないならば生活に支障が出るレベルであること。社員全体の給料の中央値が400万くらいなので、320万から上は毎年貰えるかどうか経営陣の匙加減ということだ。流石に給料の最低保証金額決めないと退職者続出するんじゃないだろうかと懸念する。
今よりたくさんお金がもらえるという希望ではなく、もっと貧困になるという危機感で馬車馬の如く働かせられると考えている経営層の頭の貧困さに絶望する。ぶら下げるならもっと夢のある大金をぶら下げてくれよ。