un deux droit

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垣根涼介「涅槃」

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宇喜多直家という戦国武将の一生を描いた作品。悪名高いというその悪名についての知識無しで読み進めたが、存分に楽しめた。

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不遇な幼少期と、そこからの立身出世、旧弊にとらわれない治世の鮮やかさ、家臣への情に厚い采配など、「負けないリーダー」の強かさが存分に描かれており、こういう男でありたいという気持ちにさせてくれる。

この作品の印象的な箇所が、男女の交わりに関わる執拗な描写だ。光秀の定理、信長の原理でも同様だが、垣根作品には本編の進行と並行する形である一つの事柄のあらましの解明するべく没頭する特徴的な描写がある。今回はなんと「閨事」ときたので少々面食らったが、変態的とも言える真理への飽くなき探究心がモチーフの魅力を存分に引き出している。

直家は、女性の外見的な美しさだけでは心がなびかず、それに加えた利発さに欲情を覚える。曰く、男女の交わりも会話であるからして、まともに話のできぬ人間とでも構わず性交渉に耽溺するのは犬畜生と変わらない、と突き放す。私も妻と満足に会話の成立しない日々を送り、そのやるせなさが私をブログに向かわせているので直家の心情は痛いほど理解できる。

もう一つ印象に残ったことがある。これほどの傑物の存在について、この本を手に取るまで何一つ知らなかったということだ。上杉謙信、武田信玄とまではいかなくとも、もう少し名前が残ってもいいように思う。「涅槃」のエピローグには、「関ヶ原の戦いで西軍についた宇喜多家は滅び、代わりに岡山藩主となった小早川秀秋が宇喜多家の資料をことごとく抹消した挙げ句、悪名を流布して回った、歴史は勝者の都合で捏造される、敗者は沈黙するのみである」ということが書かれている。生まれがもう少し日本の中央に近ければ、あるいはもっと違った展開があったかもしれないと思わずにはいられない。おそらくこれは私が東京の会社に勤めながら福岡の地で働き、本社に近い者から順に重用されている現実に対する感傷だろう。いくら公式のオンライン会議で気勢を上げても、東京の現場で裏の根回しに暗躍されては手も足も出ない。しかしそんな些事に泣き言を言わず、毛利と織田に挟まれながら、どちらにも迎合せず独立勢力として家名の存続を追求した現実主義者としての直家の生き様を心に留めて、踏ん張っていきたい。