un deux droit

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20代で運動しなかったツケを清算

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ランニングを始めて約1年、10km走で5分15秒/km切りまで到達。始めた当初はそもそも10km完走できなかったし、最初の完走は1時間オーバー(6分オーバー/km)だった。涼しくなったのもあるがこの1ヶ月急に身体が軽くなったし、ばてなくなった。気のせいかとも思うがタイムが良くなっているので成果が出ているとみなして問題ないだろう。

身体を作るというのはほんと大変だなと思う。
私は仕事が暇で監視もゆるゆるなので、週一のランニングを継続できたが、そういう仕事はなかなかなく、時間確保の折り合いがつかず挫折する。何せランニング1時間すると、その後朝が引いて仕事に復帰できるまでもう1時間は欲しい。身体ができるまでは疲労困憊して仮眠を取らないとどうしようもない時があった。諸々足し合わせると、初期はなんだかんだ3時間ほどロスしていると思う。この時間を捻出し続けるのが困難。実際これまでも何度かランニングを習慣化しようと挑戦してきたことはある。しかしそのどれもが時間確保の困難さによって途絶えてしまった。その点はコロナが流行り在宅勤務が主流になったことの恩恵をモロに受けた。通勤時間がまるまるランニングにすり替わった。

さらには、身体を作るための身体が出来ておらず、負傷することがある。ランニングの場合は腰、膝、足首あたりが相場で、私の場合は膝だった。数日歩行も困難になるような痛みに襲われ中断した時期もあった。知り合いのトレーナーに聞くと大腿筋が弱く膝が外側に向けて負荷がかかっているため痛みが生じている、まずは筋トレからということで、痛みがおさまってからはしばらくスクワット生活に切り替えていた。そこからまたランニングに戻る恐怖や億劫さに打ち勝つのも大変だった。

そこまで乗り越えて次に来るのがマンネリ感。とにかく効果が出ない。身体が絞れない。タイムも良くならない。肺活量が上がっている感じもしない。そんな時は「走って初めて体型をキープできているんだ。これをやってなかったらぶくぶく太っていただろう」と暗示をかけて乗り越えた。それでも、健脚の老人に抜かれ続ける屈辱や、若さ溢れる大学生ランナーの力強い走りに羨望を抱きながらモタモタと走り続けるのは苦しい日々だった。

冒頭の結果は時間確保、怪我、モチベーションそれぞれの深い谷を乗り越えた先にある。5分15秒ペースの疾走感はなかなかで、走れているなという快感があった。30代入ってからの体づくりは本当大変。きっと40、50代からのスタートの困難さはその比ではないだろう。今辞めたら二度と動ける身体を再生できない気がするので、もうランニングは辞められない。

運動にしろ、投資にしろ、勉学にしろ、労力を投下した量とその効果は指数関数的なグラフを描く。(頭脳と身体能力は肉体の限界があるけれど)投下した労力が「割に合う」と感じるまでのタイムラグが大きいが、一定のラインまで辛抱すると労力に感じる苦痛が減り、楽しくもなる。そしてそのあたりから効果も出る。効果が出始めてから投下する時間が減るわけではない。その後も労力は投下し続ける永久運動だ。その労力が苦痛から快楽に変わるのがミソ。これは一定のラインを超えた人でないとわからない。このラインを超えたことがある人とない人では世界の見え方がぜんぜん違うんだろうなと思う。