un deux droit

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策士策に溺れろ

「あんどうはやっぱ営業向きだよ。営業に本腰入れたらどうだろうか」

同期で今は取締役の男から、そう告げられた。

彼は昨年から経営企画部長となり、その時に一緒に手伝ってくれと言われたので、営業の傍ら自社メディアの企画運営に力を貸してきた。この4月から彼は執行役員となり、私は相変わらず平のままだったが、自分が楽しめる仕事を彼の傘の下で自由にできるポジションを楽しんでいた。社内の厄介な調整ごとは彼が一手に引き受け、自分は業務を通じて存分に自己表現を堪能していたのだ。彼は末席の役員としてつまらない根回しに奔走するだけの日々を送っていたが、まぁそれに見合う報酬をもらっているのだし、かたや私はボランティアの対価をもらってないのだから、自分が仕事を楽しむことを別に気兼ねする必要はなかった。同期の気安さもあり、ダメ出しも率直にするし、自分の考えを納得いかない理由で取り下げるようなこともしなかった。

潮目が変わったのは9月。彼は新たにマーケティングを補佐する中途採用を行った。その際入社したHは彼が部下に求める資質を全て備えていた。芸大卒で、ベンチャーの管理職として腕を鳴らしてきており、横文字のマーケティング用語を駆使し、エレガントな視座から次々と経営企画の改善点を指摘してきた。その手品に魅了された彼は、マーケティング以外の彼が管掌している様々な部署のミーティングにもHを引き連れまわし始めた。Hは彼の懐刀として果敢に行動した。結果として採用当初に合意していた部署の領分を遥かに逸脱して、プロジェクトというプロジェクトに首を突っ込む羽目になった。私が遊んでいた自社メディアの庭も例外でなかった。マーケティングの教科書的にはとても正しく、しかしただそれだけの人畜無害なアドバイスを拝聴した。Hは人当たりは良いので私が書き上げた原稿や着想した企画を面白く肉付けしてもらう時に活躍してもらおうかな、くらいには思っていた。

ところが彼はそれ以上の権限をHに持たせたい意向を匂わせた。マーケティングもメディアも研究開発も彼を中心に据えて話を進めたいようだった。それぞれの部署は独立しており、それぞれに主担当がいたのだか、そのどれもがHを一枚噛ませて部署の運営をする体制になった。期の途中でなし崩し的に組織運営が変わりメンバーは当惑した。守備の優れたショートを獲得したからといって、セカンドもサードもファーストも一人で守備させるようなものだ。あくまでそれぞれの守備範囲を尊重しながらうまく連携を取りましょう、とやれば済む話ではないのだろうか。野球だと眼で見て明らかに破綻した采配だとわかるのに、ビジネスだと途端に目が曇るのが不思議でならない。

冒頭に話を戻すと、私は腰掛けでやっていた営業に専念する、という名目で、自社メディアの企画担当という仕事を取り上げられようとしている。彼は私と同じ理想を求めてタッグを組んでいたと思っていたが、彼に取ってみれば、ただ手持ちの駒で使えるものがなかったので、応急処置的に私を埋め込んでいたに過ぎなかった。ようやくいい駒が揃ったので代用品はお役御免というわけだ。さすが若くして役員まで上り詰めるだけのことはあり、非情さを隠さず、目的達成のためなら二枚舌でも三枚舌でも使うことを厭わない。彼以外の全ての人間は彼の踏み台なのだ。

はたしてHは彼の期待に応えることができるだろうか。Hは今のところ既に進行しているプロジェクトを評論したに過ぎない。実際0から企画する手腕は未知数である。そしていざ実行となった時に人を動かすための人身掌握は間に合うのだろうか。私には到底無理だとしか思えないし、もし仮にそれが実現できたとすれば、実は次に不要になるのは役員たる彼自身だ。自分自身は采配を払うだけで何も価値を生んでいないことを彼はわかっているだろうか。私は彼に引導を渡すためにむしろ積極的にHを補佐しようと思う。懐刀が自らに突き刺さる無様な彼の姿をいつの日か拝んでみたい。それが彼に切り捨てられた人たちの、一番の供養になるだろう。