un deux droit

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妻は超ローコンテクスト人間

今週のお題「爆発」

久々に妻と口論。妻の生理中はどうしてもギスギスしがち。
妻は自分の話を何か別の表現で言い換えたり、例えたりされることをひどく嫌う。特に生理中は過敏だ。今日は、「保育園の入園希望者が同点で並んだ場合は申し込み月以前から待機している順に入園許可が出る」という話に「早い者勝ちってことだな」と返しただけで激おこ。妻は、いやそれは早い者勝ちでないとか、そういう次元の低い話をしたいわけじゃないとか色々難癖をつけてきたが、早い月に申し込んだ方が入園可能性が高まるのだから「早い者勝ち」という表現自体を否定することは論理的に困難だ。結局は何か別の言い方に変換されたことが嫌なのだ。

「保育園の入園希望者が同点で並んだ場合は申し込み月以前から待機している順に入園許可が出るらしいよ」
と言われたら、
「保育園の入園希望者が同点で並んだ場合は申し込み月以前から待機している順に入園許可が出るんだね」
と答えるしかないと豪語する。
そんな会話あるかいな、と白けてしまうが、簡略化すると「へぇそうなんだね」という相槌になる。ちなみに、「それなら早めに申し込まないとね」と話を勝手に展開するのもNG。彼女の言い分を全て受け入れるならば、「…ということは」の先に話を転がせる権限が聞き手にはなく、ただの壁として馬鹿みたいに相槌マシーンと化すしかない。
誰と話しても同じ返しを望むなら、私と話す必要が無かろうと思うが、何一つ自分の見解を打ち明けず、愚直にやまびこを繰り返せる人はそうそういないと思うので、もしそんな人になれたなら「妻にとって私だけが唯一の心地よい話し相手」になりうるのかもしれない。
でも私はカウンセリングをするために結婚をしたのではない。もっと好き勝手に自分の思ったことを口にしたい。例えたい。言い換えたい。そうやって言葉遊びを楽しみたい。取り止めのない話を「要するに」でまとめるおっさんが嫌われるというのはわかっている。自分がやっている会話の楽しみ方はそういうマウンティングとは異なる性質のものだと信じたい。妻の独演会の聴衆として生きていくだけの人生は虚しすぎる。

なんで妻はこんなにも会話のノイズを嫌うのか。それは文脈を読み取る力がとても弱いためだ。含みのある抽象的な言い回し、行間に込めた意図は何一つ受け取れない。ことわざ、慣用句の理解もちんぷんかんぷんだし、いくら説明しても興味がない。彼女にとってコミュニケーションは信号の送受信以上の意味はない。もっといえばプログラミングに近い。物事を誤作動なく意図通りに機能させることだけを目的にしたコミュニケーションにはできるだけ無意味な装飾はない方がいいだろう。しかしそれはあまりにも無骨というか、趣がない。端的に言って無粋である。
妻は異文化に塗れて「確実に伝わる」ことだけに集中特化した人生を歩んできたので致し方ないが、「伝わらないこと」「多様な解釈を含むこと」の味わい深さに、単なる脳の負荷以上の価値を認めないのはなんとも物悲しい。余談だが、3歳の娘の覚えたての舌足らずな言葉から意味を読み取るのも、妻は本当に不得手。文脈と状況から類推する機能は完全にぶっ壊れているらしい。荒稼ぎしてくるが心の通わないサイボーグとのこれからの暮らしに不安しかない。