un deux droit

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もう感動では撹乱させられないよ

東京オリンピックにまつわる一連の不祥事、不手際、不始末を経て残念に思うことは、これまでのオリンピックで人並みに感動し、興奮した思い出ごと汚されてしまったような気持ちになったことだ。平昌のスケート、アテネの体操、シドニーのマラソン、長野のスキージャンプ。どれも苦労せずとも感動した記憶が容易に蘇るものの、その改は今回のような小汚い不正や見苦しい商業主義が蔓延っていたのだと思うとどうしても白けてしまう。まぁ今回のはあまりにも露骨で杜撰だけれども。
よくよく考えればスポーツの一つ一つのプレーが素晴らしいのは当たり前のことだ。一流の人間のパフォーマンスはそもそもどんな舞台であっても卓越している。近所の公園や体育館でも同じ技術をアウトプットすることはできる。ただ見る側が勝手に舞台を作って勝手に感動しているだけだ。だからパフォーマーが素晴らしいからといって舞台装置まで肯定するのは単純に問題を混同している。徹頭徹尾切り離して評価しなければならない。これから日本勢も何個かメダルを獲得し、感動を煽る編集でエンドレスリピートされる日々が続くだろうけれど、それが一連のゴタゴタの問題性を薄めることには決してならないので騙されてはいけない。利用されるしかない選手たちも気の毒ではある。

次に開会式の感想。日本人の内輪ウケしか考えてない内容だったな。入場曲がゲーム音楽って。企画メンバーのごく個人的なオタク趣味を濃縮還元したような捻りのなさがイタかった。その後の登場人物も演出もCMっぽいというか、適当に最近の技術をかき集めてそれっぽく見せただけ、という印象。歌舞伎使っときゃ外人受けするでしょ、みたいな。特に伝えたいメッセージはなくキラキラしたものを羅列しただけ、というのはさすが電通だな。

そしてトドメの竹中平蔵。
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オリンピックがどれだけ否定的な評価を受けようと、開催には漕ぎ着けて自分達の儲けは確定したのだからもう黙っていればいいのに、なんでまだしゃしゃり出てくるかな。懐が暖まったのだからもうそれで満足しろよ。儲けた上でさらに国民の思想までも自分の思うように誘導したいなんて欲が深すぎ。みんなが諸手をあげて賛同してくれないと後ろめたいのか?潔く後ろ指刺され続けて生き恥を晒せよな。