un deux droit

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死因は恥死

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

日本で生まれ育った現在30代の男女には、2006年から2009年までの期間に共通の黒歴史を抱えている。
人生で消したい記憶があるとすれば、私は間違いなく「あれ」だ。
アカウント自体は消したのだが、「あれ」を通じて癌細胞のごとく膨張した自我を開陳し合ったかつての知人とはもうリアルで顔を合わせることができないでいる。人間関係を紡ぐはずの装置が、いまだに尾を引く程度に人間関係を毀損してしまっていることは皮肉と言わざるを得ない。

あの頃を思い返すと、自分含め、「人間って気持ち悪い生き物なんだなぁ」としみじみ思う。

初恋の子、昔付き合った彼女、少し気になっているあの子の、自分の知らない一面を見て興奮していた自分もキモすぎるし、匿名で赤裸々に内面をつづっていた彼女たちも同様にキモかった。
いまだかつてあれほど群衆の恥部を集めたインターネットサービスはないのではないか。
きっと本社には削除された投稿のログがすべてきっちり保管されていて、中の人が毎晩誰かのログを復元して酒のつまみにしてほくそ笑んでいるに違いない。悪趣味だがヘビーユーザーの一人だった私として気持ちは十分にわかる。

「あれ」がTwitterともFacebookともInstagramとも違ったのは、最も多く共有された情報が「テキスト」だったことだ。
かなりの程度、内心の暴露をともなう「ポエム」に近かった。
友人たちの投稿を読んだときに抱いた感情を思い起こすと、私たち日本人という民族は、普段いかに自分の考えや思いを、面と向かって声に出して誰かに伝えるということを封じられてきたのか、ということに思いを馳せずにはいられない。

自分の思いを言語化することに慣れていないから、文章としてあまりに稚拙で、独りよがりで、客観的視点が欠落していた。私の長女は6歳になるのだが、ちょうど娘が今口にし始めた自分の思いと同じ程度の自己主張であふれかえっていた。
言い方を変えれば、私たち世代は「あれ」のおかげで、本当の意味でようやく「6歳」の手にする自己表現の自由を手にしたのだとも言える。

それにしてもあの時の私たちはまだSNSが何たるか、よくわかっていなかった。
何を公開して、何を公開するべきでないのか、その基準も持ち合わせていなかった。
当時の「あれ」と比べればTwitterFacebookInstagramも、ずいぶんと洗練された投稿になってきたなと感じる。
それもこれも、私たち世代が無垢な犠牲となって、目も当てられない醜態をさらし続けてきた成果だと思う。

SNS黎明期に人柱となり、あれ以来SNSの海を回遊できなくなってしまった屍たちを、たまには供養してやってほしい。