un deux droit

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高めに勘違いした自己評価が次の子作りの源泉である

幼児2人の圧倒的体力と騒がしさにガス欠の日曜午後。
子供が産まれる前は「あれをしてやりたい」「これをしてやりたい」と、子どもの興味関心にアクセルを踏ませてあげる親でありたいと願っていたのに、いざ子どもを育ててみると「あれはするな」「これはするな」と、子どもの興味関心にブレーキばっかり踏んでいる。
溢れる熱量を緩和するために好きなアニメを垂れ流して画面に釘付けさせ、束の間の平穏を確保することもしばしば。自分の忍耐力を買い被っていたし、子どもの自制心の無さを低く見積もっていた。
子どもたちは姉妹だから、1人でおままごとしたり、2人で仲良く大人しい遊びをしてくれるもんだと身勝手な予想をしていたのだが、しょっちゅう喧嘩をするし、走り回って騒がしいし、怪我も絶えない。自分が子どもの頃の自己認識を参照しながら、子どもがされたら嫌なこと、嬉しいことなどの算段をつけているのだが、その自己認識はおそらくかなり脚色されている。娘たちの日常を見るにつけ、私も自分が思うより遥かに愚かで、思慮が浅く、粗暴だったのだろうと思う。産んでくれと頼んだわけではないので自分の両親に感謝の気持ちはあまりないけれど、今度会ったときにはさぞかし大変だったねと労ってはやりたいなと思っている。