un deux droit

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贅沢な子育て

怒涛のゴールデンウィークがついに終わった。散々遊びに付き合い、わがままをいなし、夫婦喧嘩に明け暮れ、ようやく迎えた最終日の名称が「こどもの日」。こちとら365日子どもの日じゃわいと呪詛をぶちまけ、よほどカレンダーを引きちぎってやろうかと頭に血が昇ったがなんとか思いとどまった。
あさごはん、おやつ、昼ごはん、おやつ、夜ご飯となんだかずっと食器洗いしていたような気がする。指先が洗剤に負けてボロボロだ。世はコロナ禍真っ最中だろうけれど、ニュースや新聞をマジマジと見る暇がなかもはや気にしていない。「ビジネスパーソンなら時事に疎いのは致命的」とほざくおっさんどもは間違いなく子育てをしていない。致命的であろうとなかろうとどっちでもいいのだが、自分のことだけにかかずらっていられて大いに結構。暇だからといって盛んに俺を見習え的なメッセージを口うるさく発信しているのは寂しいかまってちゃんなのだろう。

いつもの公園の砂場で、次女が服を水浸しにし、靴を脱いで靴下のまま駆け回り、砂と泥まみれにしているのをなすがままにさせていると、たまたまきていた長女の同級生の母親に声をかけられた。
「靴下は…誰が洗うんですか?」
妻が漂白にはこだわりがあるので妻に任せてます、と言うと、予想外といった反応で「寛大な奥様ですね〜、うちはとてもとても…」と言って去っていった。私が洗うからここまで汚しているのだ→公園に付き合い洗濯までやって感心ですね、という話に、どうやら持っていきたかったみたいだ。夕飯を作る妻のために人払いをしているお父さん像を押し付けられた気がした。違うんだよ、洗濯はやらない代わりに夕飯が私の当番なのだよ。彼女の予想はきっとどこまでも外れている。正解は、もう夕飯の豚汁を仕込んだうえで公園にも来ているのだ。夫婦ならではの分担方法について他の家庭にはわかるまい。

大変だ大変だと喚いていても、結局大変さは自分たちが招いているのだなと思った。夫婦で分担しているから服を汚される程度についても許容範囲が広いし、夕飯に豚汁を手作りするという手間をかけられたりもする。もっと切り詰めて無駄を排除し、子供を統制させれば家事負担は減らせるし、減らしている家庭は実際にある。自分が自分に許している贅沢のおかげで苦しんでいるのだから文句を言う筋合いはないのだな。やれやれ。