un deux droit

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ハンディキャップはすぐそばに

先日、在宅勤務をしていると、外に一台の車が止まった。ほどなくして、下の階に住んでいるお母さんと男の子の兄弟が車に近づき、お兄ちゃんだけが乗り込んだ。車が発車のために向きを変えると、後ろ扉に「自動発達支援施設」の文字。下の階のお兄ちゃんは発達障害だったのか。玄関先で出くわすとやたらと話しかけてきて、距離感近いなとは思っていたが、これまで少し邪険にしていたことを申し訳なく思う。上の子を見送った後、下の子と散歩に出かけるお母さんの背中に侘しさを覚えた。

昨日は市の室内遊び場に出かけた。うちの子達と学年は違うが同じ保育園に通う家族も来ていた。普段見かけるお姉ちゃんと弟のほかに、もう1人男の子がいた。体の線は細いが、一緒に遊ぶ他の2人との関係性から察するに、真ん中のお兄ちゃんらしい。彼はダウン症だった。

普段ぼーっと生きていると健常者しかいない世界が広がっていて、障害を抱える人やその家族とは別の空間で暮らしているような感覚で過ごしている。けれどもそれは単なる錯覚で、普段関わる人の生活の中に内包されていている。本当はすぐ隣り合わせのところにあるが見えにくくなっているだけなのに、事情を抱えぬ者は見えている部分だけ切り取って、それが世界の全てと早とちりをする。多様化、多様化と叫ばれている一方で、個別の課題は専門の解決機関によって吸収されるため、社会に見せる表層の顔はどれも一様に映る。そのゆえ、社会に課題をうけとめる弾力が失われていく。想像力を逞しくせねば。