un deux droit

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叶わぬ希望を持つ理由

今日は図書館で借りている本の返却と、食材の買い出しがしたかった。けれどもそのどちらも叶わず。午前中は雨で子どもたちが外出を嫌い、ぐずぐずと家で過ごす。晴れ間が見えた午後は午後で公園へと行きたがり、イオンに併設された屋外の遊び場でひたすら遊び呆ける。妻は生理前でイライラしているので子どもの世話は私が引き受け、先に買い物をさせる。妻の機嫌は良好だが私の予定は一つも遂行できなかった。
夕飯の計画も自炊のはずが、夕飯の時間まで遊び続けるものだから外食にしようということになり、下の子が車中で爆睡したので、結局惣菜のテイクアウトに落ち着く。
計画が一つも実行できないなら計画する必要がないのではという気になるが、完全に無計画だと何もできない。プランAがあるから、それを軸にしてB、C、Dとテンポよく妥協ができる。つまり計画というのは計画通りに過ごすためにあるのではなく、どんなに想定外のことが起きても柔軟に対応できるようにするために立てるものなのだということを子育てを通じて痛切に理解した。1日を振り返ると、当初のプランは大体Gくらいまで妥協したものに落ち着く日が多い。徒労に感じ、消化不良、欲求不満がないと言えば嘘になるが、プランGのためのプランAなのだ。最初からプランGくらいしか考えていないと妥協の遊びがなくなってしまう。恙無く1日を乗り切るために、今日も叶わぬ夢を見る。