un deux droit

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本当は会社に行きたかった

書評?「会社には行かない」
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出社拒否レベルでリモートワークをしている私だが、世の中の人がどういう理論武装でフルリモートワークを正当化しているのか確認のために読む。

一通り読んで、逆説的だけど、本当は自分会社に行きたかったんだよな、ということを思い出した。
私は好きでリモートしてるわけじゃない。本当は通勤時間をかけてでも、わざわざ同じ場所にたむろして、くだらないことをだべって、イチャイチャしながら仕事していたかった。けれどもそれに資するだけの、波長の合う同僚が事務所にいなかったのだ。
同僚の面々は仕事に有益な耳寄りな情報を掴んでくることも、好奇心を刺激する話題を提供してくれることもなかった。私が情報を出して話題を提供しても不感症の如くぼんやりと佇んでいた。新規開拓を報告しても上の空。新しい企画を立ち上げたら何一つアイディアを出さず全乗っかり。アイディアが一案だけでそれが採用されるだけの会議って会議と言えるのか。それでいて給料だけは年功序列でがっぽり確保し、不労所得を決め込んでいる。私は虚しい独り相撲に耐えられなくなってある意味では自宅に引きこもった、とも言える。

「結果だけ出してればいいわけじゃない」「しっかりとコミュニケーションをとって周囲に安心感を与えられる人だけがリモートワークに資する人材」前述の書籍にはそのようなことが書いてある。私もそうあるべきだと思うし、そうありたかった。でもそれは上司が部下に関心を払うという前提が成立するときのみ。かまってちゃんっぽくて恐縮だが、私は上司の無関心に不信感を抱き、諸々のコミュニケーションを形骸化して、どこまで削ぎ落とせば私の日々の営業に興味を持ってくれるのか上司を試した。
手始めに朝礼の廃止を提案した。グループウェアを見ればわかることを共有するだけならやめましょう。あっさり受諾された。日々の営業の進捗共有もグループウェアにした。その後それすらもやめてメールのbccで共有するだけにした。上司の捺印をスキップして見積もりを提出するようになった。四半期面談に準備ゼロで臨んだ。グループウェアに予定を書き込まなくなった。タイムカードを月終わりに一括手入力するようにした。有給の事前申請をせず、スケジュール上の書き込みだけにして、それも月末に一斉に自己申請するようにした。上司からの電話を取らずメールで要件を聞くようにした。気乗りしない担当顧客を全部上司に押し付けた。就業時間の自主短縮を始めた。始業時間を過ぎてからパソコンを立ち上げ、終業時間前に閉じるのが当たり前になった。就業時間中に私用を済ませ、食事の買い出しに行き、テレビを見、ランニングに出かけるようになった。ここまでやっても上司は何も言ってこない。それどころか上司もメールでしか連絡よこさなくなったし、予定を書き込むことを放棄し始めたし、アポの頻度も落ちた。なに感化されてんすか…結局マネジメントをしたくてマネージャーをやってるわけじゃなくて、給料と地位が欲しかっただけ。部下がセルフマネジメントしてくれるならそれが一番負荷がなくて都合がよかったのだ。これはもはやリモート・ワークではなくリムーブ・ワーク。彼は組織図上だけの上司部下関係を続けることで管理職手当を不正受給しているのだ。
リモートワークは、本当は会って話したくて仕方がないような魅力的な相手や組織とでしか成立しない。その意味において、著書にある「リモートになったからできなくなったのではなく、リモート前からできてなかったことが浮き彫りになっただけ」という記載に深く共感するのだ。格付けチェックじゃないけれども、「行く価値なし」の会社はコロナ禍を機に、すっかりインビジブルな存在になってしまったように思う。