un deux droit

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準備よりもスタンスの肚決め

今日は久々に出来の悪い仕事をした。オンラインで100人越えの研修。初出しの内容が多く、反応が読めない。結果、不安から内容を盛り込みすぎてしまった。これ何が悪いかというと、聴衆を掴めているかどうかより、用意した原稿の要素を落としていないかが気になってしまい、テンポが悪くなる。そのせいで端々の結論に自信がなくなり歯切れが悪くなる。テンションも上がらず生焼けな感触のまま終了してしまった。
うまく行く時は準備した原稿も場の雰囲気で割愛したりアドリブで付け足して、それでも全体の流れが破綻しない、ということができる。その状態にコンスタントに持って行きたいのだが、なかなかうまくいかない。
準備が悪かったのか。悪い。モチベーションが低かったのか。低い。けれどもやる気もなくアドリブでそれなりの話ができるように私はなりたい。いやそう見えるやつも実は影で努力して…という説に私は与しない。実際努力もなく準備もなく適当に話せるコスパの良い人間は確実にいて、私はそれが本当に羨ましい。万全の準備を尽くせば確かに今日ももっと良い感触で終えられただろうが、私はどうしてもその努力がしたくないのだ。
努力もせずコンスタントにパフォーマンスを出す奴は何が違うのかな、と考えると、おそらく覚悟が違うのではないかと思う。迎合するならする、孤高を貫くなら貫く。話し手のスタンスはどっちでもいいけど、どっちかに振り切れないといけないのだ。八方美人でどっちつかずのところに突っ立っているのが聞き手の快感から最も遠い位置にいる気がする。今日の私は擦り寄るのか突き放すのか話し始めた段階で肚が決まっていなかった。これが最大の敗因。
立ち会った同僚に話の不出来を詫びると、「全然よかったっすよ」という反応。彼は自分が手応えあった回でもリアクションに大差ない。立場上そう社交辞令で言うしかないのかもしれないが、ひょっとすると他人から見れば本当に大差ないのかもしれない。そうなるとただの自己満足。虚しいこだわりだ。