un deux droit

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絶対に自分の非を認めない人との暮らし

topisyu.hatenablog.com

昨日読んで深く共感し、悲しくなった投稿。
小島さんの自己正当化するロジックの組み立てが気色悪いほど妻と酷似している。

今朝もこんなことがあった。
出勤の電車内で作業をしていたら、妻からLINEの連射投稿が。
こんなの悪い予感しかないやん…と暗い気持ちになったが、放置してよかった試しがないので仕方なく開封。
すると要件は、「私のタブレットどこにやったの」だ。
確かに夕方一瞬だけ借りた記憶がある。しかしちゃんと元の場所に戻した。その後は妻が子どもたちの寝かしつけでタブレットを使用する際に子ども部屋に持っていったはず。そして寝かしつけをバトンタッチした後はそのまま子ども部屋に残したか、元の充電器に挿したかのどちらかだ。その後私用で使ったら流石に覚えている。
彼女の口調は既に私が犯人と決めつけている。彼女が直ちに発見できないかつ私が犯人とどこに移動したかを明確に言えない時点で有罪。妻がどこかにおき忘れた可能性は一顧だにされない。しばらくの間、薄い可能性のある箇所を「あそこはどう」「ここになかった?」と思い当たるだけ列挙。間に「すみません」のサンドイッチも欠かさない。子ども部屋もない、充電ケーブルは別の用途に使っていたから充電されっぱなしもありえない、と言うものだから途方に暮れて、自分のカバンの中に混在していないかと中身をひっくり返していると、1通の通知が。
「〇〇の箱にあった(充電器コンセントの下)」
はい、妻が原因でした。

筋書きはこうだ。
私が子供達の寝かしつけを終えた後、タブレットを充電器に繋いだ。
その後妻が何か別の用途でケーブルを使うため、充電器からケーブルを抜いた。
そして肝心のタブレットはそのままコンセント下のカゴに置かれた。
そして妻はそのことを忘れて、ないないと騒ぎ立てた。
あれほど普段人に聞く前に良く探せと言っているくせに…

問題はここからである。
おそらく妻は謝罪しない。
冤罪でしたごめんなさいとはならない。
彼女が採用しているマジックワードは
「普段から疑われるような行動をとっている方が悪い」
だ。
もう一度言おう。

「普段から疑われるような行動をとっている方が悪い」

なるほど私は生まれながらに原罪を背負っているのですね、ほんと生まれてきてすみませんでした。
この言い分が、いかに言われた側の生命力を毀損するのかの想像力がほぼ完璧に欠落している。


だからわざわざそんな呪いをかけられる前に、全て自分が悪いことにした。
紛らわしいことしてごめん、と。
案の定、彼女は謝らなかった。不特定多数の人が触ると無くす危険があるからなるべく使わないでくれ、とのこと。これははっきり事実と矛盾している(私の借りる→返すが完了したのちの出来事であり、今回の問題の一切を引き起こしていない)。私が一回触ったという記録があっただけで、元に戻したしばらく後まで、その後にそのブツの行方が不案内になるという持続効果のある魔法をかけることができると言っているようなものだ。けれども私は争うことを選ばす、もう一度だけ、次からは本当に気をつける、すまない、とだけ返信した。そこで朝のやりとりは終結した。

非を認めて詫びるくらいなら、その相手との関係を断つ方を選ぶ、という激烈な人間は案外少なくない。そこまでしてまで相手に反省を促したいという人間は、絶対に非を認めない人間の裏返した姿だ。大抵はもっと穏和な人で妥協点を探る。だから徹底して不寛容な人間が実益を得る。本当ならばそういう不届き者と距離を置き孤立させた方が人類のためにはいいのかもしれない。その意味においては妻を甘やかせてのさばらせている私も人類に対する加害者だ。