un deux droit

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一理だけ感じた上司の価値

ここ最近社内SNSにて会社の経営陣の愚かさについて意気投合した制作部門の人間に初めて仕事を振ってみた。仕事は早いしクオリティもいいけれど、コミュニケーションで致命的とは言わないまでも結構フォローの面倒くさい抜け漏れがある。どうでもいいところが緻密で肝心なところに穴。納期の調整が必要なことに関しては聞いてもいないことをめちゃ精密に情報出すけれど、お金についてはどんぶり勘定で何にいくら発生するのか途端に切れ味が鈍くなる。隠しているというより関心が薄く採算のことについてしばしば意識が飛ぶようだ。
無償で対応してくれる雰囲気だけ出しておきながら念のために確認すると、あ、追加料金です〜みたいなことがある。それかなり序盤で言ってくれたらその後の話しなくて済んだのに、的な。
彼は成果物の素晴らしさの割に評価されていないことが不思議だったのだがなんかわかる気がする。周囲ももちろん彼の愚痴の通り問題はある一方で、彼の抜けてるところが彼にとって不愉快に感じる無用なトラブルを呼び寄せているところがある。きっと自分もこのタイプの人間で凸凹が多いせいで知らず知らず迷惑をかけて評価を落としているのだろう。
得意分野をそれぞれ先鋭化させていくと、自然と隙間が多くなり、業務遂行上の取りこぼしが増える。うちの上司は何一つ尖った部分がないけれど、有り余った暇な時間でそういう取りこぼしはことごとく拾ってくる。そんな重箱の隅ばっかり突いていないでもっと本丸の気合の入った提案でもぶち上げろよとフラストレーションが溜まっていたが、そういう血漿みたいな人も存在意義がなくはないなと、中間物をことごとく除去して初めて理解する。けれど取りこぼし拾うだけの役割にその高給はやりすぎ。コストがかかるが取りこぼしキャッチャーを専任で置くのと、取りこぼし前提で何度も手戻りしながらも尖った少数精鋭で突っ走るのとではどっちが付加価値の高い組織なのだろうか。個人的には後者であって欲しいと根拠もなく願っている。