un deux droit

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政治活動が拭うべき気味の悪さ

昨日はお客さんの誼で、大学のゼミでお世話になった教授の講演に潜り込んできた。
来たる衆院選に向けて、政権交代のために力を結集しよう!というお題目の元、安倍菅政治の劣悪さ、自民党の弱点、野党連携の方向性などを語っていた。
途中に挟む政争の歴史や第二次世界大戦時の軍部の愚かさ、実はあの時こんな裏があった、という小ネタの話などは政治オタクな主催者達の身内受けにしかなっておらず、大半の受講者(これから支持者カード集めなどをやらされる人たち)は皆一様にポカーンとしていた。

聞きたいのは敵の批判でもなく、絵空事のビジョンでもない。なぜ我々は政治に関わらねばならぬのか、関わった先にどんな日常があるのか、それは日々の生活がどんな彩りになるのか、という具体的なイメージだ。周回はいつやっていて、候補者の話はどこで聞けて、自分の訴えは誰が聞いてくれて、そういう集まりに参加すると周囲からどう見られるのか、あるいはどうも見られないのか。そういう具体的な情景について、ほとんどの人は何も思い浮かばない。
デモ一つとっても、一体どういったプロセスで集められているのか、集まっている人は一体どういう種類の人か、参加したらなにかのブラックリストに乗って公安に追いかけられるのではないか。捕まったら会社クビになったりすることに繋がらないか。変な団体に加盟させられるのではないか。いろんな不安が拭えない。政治への不満と、それを表明する具体的行動の間にはとてつもない溝がある。そういう教育を親世代含めて受けていないし、友人知人で参加している人に出会うこともない。一切合切のプロセスが謎に包まれているのだ。

難しい話は考えんといて。とりあえず票さえくれたらあとはこっちで上手いことやるから。絶対損はさせへんよ。今までは与党だろうが野党だろうがこの戦略をとっていた。政治家の大半が、考えるのはこっちでやるから任せてくれるだけでいい、というスタンスで活動をやっているうちは国民・政治家共に政治的な成熟は望めない。間接民主制とはいえ、全権委任ではなくあくまで代弁者であるという謙虚な姿勢で、選挙の時だけなかなか頭を下げに来るのではなく、支持者との対話の機会をもっと増やして共に学び合う努力が必要なのではないか。