un deux droit

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恵まれた立場の脆さ

久々にひどい喧嘩をした。いつも通り妻の生理とかぶる。幸にして強い薬を常用してくれるようになったが、今回の生理はなかなか長期戦で5日目になっても改善の兆しを見せない。
身体の自由が利かず最も苦痛を受けているのは本人であると十分承知している。仕事も同じクオリティでこなしたいし家事も子育ても手を抜きたくない。けれどもそれを不調が許さなくて普段しないケアレスミスが起こる。そのことにまたイライラする。負のスパイラルだ。
一方で私も、そんな妻の継続的な精神ケア、家事や子供の相手といった負荷の緩和、妻が吐き気を覚えず身体を冷まさず精力のつく献立のやりくり、妻の小言に付き合う、それら諸々が引き起こす家事時間の増大と仕事時間の減少、フラストレーションの増大とそれを決して吐き出してはいけない無理ゲーに黙々と耐えている。
この弱音を吐く、ということを構造的に奪われていることがなんとも息苦しい。あんたは健康なのだから常に私より恵まれている。だから何一つ文句を言える立場にない。ちょっと妻が小言を言ったり、ちょっと仕事の時間が奪われたりすることのどこが堪え難いの?この論調で詰められると精神的に参ってしまう。突き詰めるとアフリカの飢餓で苦しむ子ども達と比べたら日本に住んでるだけで誰もが相対的にハッピーだ、だから境遇を嘆くなんて贅沢だ、という話になってしまう。
昨日は4日耐え続けた挙句のいつもの爆発だったので緊張の糸が切れて完全に無気力になってしまった。修復するための心の体力がすっからかん。世の中が平和にまわっているように見えるのが不思議。ほんとよくみんな表に出さずに生活しているなぁ。つくづく感心。