un deux droit

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私はYoutuberを心の底から尊敬します

今日、動画配信向けのセミナーを撮影するロケがあった。自分の担当は1コマ、たかだか10分のミニ講座である。その撮影にまるまる1時間を要した。体を自由に動かせない、カメラ目線で目線を泳がせられない、もちろん資料のチラ見もできない、噛めない、笑顔の固定、声のトーン・スピードの安定と注文が多く、それらを同時に継続するのが死ぬほど難しい。スライド10枚程度の分量だったので、1スライド辺り2、3回細切れで撮ってもらえばいいかな、それでも細切れすぎるかなと思っていたがとんでもなかった。まともに話せるのは1文が限界だった。細切れにすることでかえって出だしが噛みやすくなるし、集中力が途切れてポカミスを連発するなど悪循環。いかに自分が普段適当に喋っているのかもよくわかったし、目線や動作の移動の自由と頭の回転は連動していることもよくわかった。発話は運動なのだ。
同じタイミングで撮影する講師の中には10分噛まずに喋り通した奴もいるらしいが人間業とは思えない。目にプロンプターでも埋め込んでるのか。これが訓練や習慣の賜物だとしたら敬服するしかないが、実際にその動画を見てみたら、張り付いた笑顔に流暢すぎる滑舌がかえって違和感があった。きっともうロボットになってしまったのだろう。まぁきっと負け惜しみだ。
それにしてもこういった動画撮影を苦にしない世代が今の社会を作ってるんだな。自分が適応できないことを少し悲しくも思うけれど、自分にとって異能と思える人たちを脅威に感じ、先行者地位を濫用して妨害するような老害にはならないよう気を付けなければ。