un deux droit

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妻の最大の欠点

妻は非常に優秀で、仕事も子育ても家事も抜かりなくやってのけるスーパーウーマンだが、その素晴らしさを根こそぎ帳消しにする欠点を備えているためプラマイゼロの存在である。というよりも、その欠点を土台として抜きんでた才能が屹立しているので、欠点の改善は即ち角を矯めて牛を殺す結末を迎えるしかない。なので、妻の才能の恩恵に浴している以上、ダウンサイドについては私が感受するしかないのだが、今度は私のほうに歪(ひず)みが生じてきて頭がかち割れそうである。

妻は、自分の誤りを、決して認めないのだ。

もちろん日頃のうっかりミスなどがないわけではないので、そういう程度のことは素直に認めて謝る。しかし、何か夫婦館で認識や意思疎通の齟齬があった時にはどれだけ議論を尽くしても最終的に100%私が悪いことになる。私の言い分は微塵も採用されない。情状酌量も双方免責も一切ない。完全敗訴。まぁこれには単純なカラクリがある。要するに原告と裁判官が同一人物なのだ。検察を抱え込んで腐敗した現政権と同じように、判決を下す妻が余程倫理的で公正な視点を持っていなければこの帰結を辿るしかない。
夫婦喧嘩なんてのは妻と夫の世界観のズレから生じるもので、それぞれの世界では論理的に筋道が立っていると互いに思っている。なので相手の論理性の瑕疵を探り合うのではなく、世界観の共有をして、双方が違う認識に立ってしまったのもごもっともだね、と和解するしかないのだが、妻は私の世界観の共有を頑なに拒み、妻の世界観からみて私の言動がいかに非合理的か、という糾弾しかしない。
一度も裁判で勝訴しない弁護士は、じきにそのバッジをちぎり捨てるだろう。それは自分の頭で組み立てた論理を一貫して否定され続けることで自分の思考回路に致命的な欠損があるような錯覚に陥るからだ。アルツハイマーの患者の情緒が日を重ねるうちに乱れていくように、自分の脳が健全に機能していないことを前提に日々を暮らすのは真綿で首を絞められるような息苦しさで、やがて精神を蝕む。そして会話が支離滅裂になる。
最近の私の症状としては、どもる、語尾がはっきり言えない、妻からの発言をすぐに反論と受け止めて動揺する、妻の発言内容を理解しようとすると思考回路が混線し、黙り込んでしまう、などだ。私の脳はすぐに砂時計が表示されたままフリーズする。そのポンコツさが妻の怒りにますます燃料を投下する。
幸い、妻以外の人との会話では驚くほど無症状である。妻にはそれが信じられないらしい。そんなんで本当に仕事出来てんの?しばしば冷たい言葉を浴びるが、今のところ干されてはいない。私がこうやってブログを書いているのは、脳機能の欠損が生じていないことを確かめて安堵するための自衛手段なのかもしれない。