un deux droit

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web会議で気づくハゲ具合

ここ最近、頭髪の後退が著しい。幸い結婚もし子どももできており、ヴィジュアルを異性に訴えかける必要が自分には無い。妻もニコラス・ケイジ好きというボール気味のストライクゾーンをお持ちのようなので、何の抵抗もせず為すがままにしているのだが、一抹の虚しさや喪失感がないといえば嘘になる。栄枯盛衰。欲を言えば私の毛髪にはもう少し健闘してほしかった。
普段生活する分には毛髪の薄さはそこまで目立っていないと自己認識していたのだが、きょうは容赦なく現実を晒された。顧客とのweb会議に映る自分の容貌と自己認識とのギャップに思わず動転してしまった。
普段使っているzoomと違って今日は顧客側のvcubeだった。システムによって明度が違うのか、自分があると自覚していたはずの箇所に前髪がない。薄い箇所の隠蔽工作が脆くも破綻し、あられもない姿を晒していた。10年後の自分の姿を突きつけられたような錯覚を覚えたが、でもそこにあるのは紛れもない現在の姿。そしてそれを見ても平然としている顧客の様子。なるほどもともと人にはこのように映って見えていて、知らなかったのは自分だけなのか。自分だけがバレてないと思い込んでいた間抜けさのために、虚しさを一層強くした。
どうして薄毛というのはみすぼらしいのか。おそらくその様が衰退を想起させるからだろう。森林が失われ砂漠化する過程は悲劇だが、完全な砂漠はむしろ荘厳さすら感じさせる。ジョブズまで行けばもはやそれは完成された一つの美なのだ。どんな着地でも構わないから頭髪の定常状態を早く手に入れたい。そういう意味ではこのダイナミックな毛髪の消失は痛みの伴う時期が短く済むので歓迎すべき事態なのかもしれない。