un deux droit

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続・生理地獄

また来ましたこの季節。
質問に答えてないだの、気遣いがないだの、コミュニケーションがうまくいかず妻は暴れ回っております。
先月からの改善点としては、どんな罵倒が来てもわりと平常心で受け止められていること。責められている自分を切り離して、第三者的立場でほんとあいつなってないよね、と自分で自分をこき下ろすことで幾分鎮火が早いように思う。黙って言葉の暴力を耐え続けると、自分の顔が苦痛に歪み、恨んだ卑屈な表情で相手と対峙することになる。それが相手の嗜虐心を刺激するので自分に言われてるんじゃないと受け流すのだ。不誠実だと思うけれども、その方が気が済むらしい。憎しみは背後に透過し、言葉だけ受け取る。ずいぶんと器用になったと思う。
けれども、本当は諍い自体を減らしたい。妻は日本人特有の曖昧なコミュニケーションが死ぬほど嫌いで、生理前後は顕著にその傾向が現れる。yes,noをやたら明確にさせたがる。特にnoを伝えなきゃならない時が苦痛で、自分の状況を説明してやんわりとnoであることを察してもらおうとしてしまうのだがそれがドボン。ありがとう、でも間に合ってます。と、申し出自体に感謝をし、でも不要である、ということを添える苦行を避けてはならない。なんでこんなに断るの嫌なんだろ、、自分もどうかしているが相手の申し出の拒絶=相手の存在の拒絶と混同してるんだろな。断るのが嫌で断らせるのも死ぬほど嫌なので、絶対受け入れられると思う申し出以外はしない。それが気遣いのなさにつながる。
気遣い。過去何百回この言葉を妻から聞いただろう。私はいつも具体的な行動で援助を提案してしまう。何か買ってこようか。代わりにこれをするよ。その態度が事務的で冷たく感じるらしい。私は具体的で直近の将来に起こる負荷を取り除こうという気遣いをしているのだが、そうではなく気持ちに寄り添え、と妻は言う。私は具体的行為の伴わない言葉の気遣いを気休めと感じてものすごく抵抗があるのだが、妻はまずそれだけが欲しいらしい。絶対あげたくないものをよこせと言う。これまた苦行である。歯の浮くようなセリフの羅列。大丈夫?体調きついよね。ゆっくり休んでてね。心配しているよ。お大事に。これのどこが癒されるっちゅーねん、と虫唾が走る。自分にはその語彙がない。どうしても言いたくないので妻から言われた単語をコピペしてメモ帳に溜めている。それを感情を込めずに機械的にペーストしている。感情のこもっていない言葉を並べるのは辛い。
ちなみにピルの件は却下。慎重に言葉とタイミングを選んだが撃沈。自分の保身のためと思われてしまった。妻から申し出ない限り具体的な意見を言ってはいけないとのこと。私や家族に対しての気遣い、私や家族のための自己犠牲、という発想は皆無らしい。虚しい。。