un deux droit

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人生に友人は必要か

昨日妻と、そういえばお互い久しく友人と顔を合わせていないね、という話になった。
そのことに寂しさも焦りも孤独感も味わっていない自分は、果たして人として大切な感情が欠落してしまったのか、はたまた始終誰から構わず繋がろうと躍起になっているその他大勢の方が正気でないのか、私にはよくわからない。しかし暫定だけれども、友情というのは一時の熱に浮かれた興奮状態のことで、有り体に言えば勘違いなのじゃないかと思えている。

言い換えると、同じ人間と長期間同じ熱量で付き合い続けるのは不可能に近いのではないか、ということだ。

生涯の親友と思えていた人と数年ぶりに会うと案外話題に事欠いたり、一番親密だった時のテンションを再現できずギクシャクすることがある。その時の気まずさが重しとなって、それ以降再会の連絡を取れていない。棲む世界が変われば、積み上げた経験が異なり、価値観も変容する。三日会わざれば刮目してみよ、というのはカッコつけすぎだし大袈裟だけど、だいたい三年くらい疎遠になればおおよそ赤の他人になってしまうように思う。それくらい友情というのは脆いと感じている。
一方で、顧客や同僚とプロジェクトを共にした時、仕事上の関係と割り切っていたのにも関わらず、不意に友情に似た感情が湧き出ることがある。こっちはどちらかというと、友人というより同志、と表現した方がしっくりくる。お互い期間限定の関係と納得ずくで、プロジェクトが終われば赤の他人に逆戻り、LINEを交換してズルズルと飲み仲間になったりはしないものの、お互いをプロとして認め合ったという確かな手応えを得、成し遂げた仕事を心の記念碑とするような関係だ。儚くともこちらの友情の方が最近の自分にとっては心地が良い。
人生、その時々において波長の合う人と波長の合う期間だけ付き合い、あとは波乗りの如く乗り換えていけば良いのではないだろうか。ひょっとすると、ずっと長く関係が続いているのは共に停滞しているだけなのかもしれない。とりあえず今のところ不自由なく生きていけているので、そうやって自分が友人の乏しいことを正当化して粋がったままでいようと思う。