un deux droit

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五木寛之『青春の門』

[asin:B07XYZBSF8:detail]数ヶ月前、図書館で何の気なしに手に取ってしまって以来、最新刊まで読んでしまった。
第1巻は50年前に出版されているというのに、未だ完結していないというとんでもない作品だ。
おそらく同世代の人間にほとんど読者はいないだろう。図書館でも誰との競合もしないまま最新刊までたどり着いてしまった。
なにしろ描写されている年代が1950〜60年頃。安保とか三池闘争とか化石のような出来事の真っ只中に主人公達の生活が描かれている。定年をとうにすぎたおじいちゃんしか喜ばない設定だ。
そんなジジ臭い本をなんで30代の私が読破してしまったかというと、主人公の設定と投げやりな生き様がどこか自分自身とシンクロして、話の結末まで放っておけなくなったのだ。
主人公の伊吹信介は、九州は筑豊の炭鉱生まれ。早稲田に入るも、学問への興味もなく、特段の志もなく、ただ漠然と世の中を見てやろう、という気持ち一つだけで上京する。そしてエリート層、上流階級の博覧強記ぶりや、文化への素養、社会に対する問題意識の高さに圧倒され、コンプレックスを抱く。そしてたまたま巡り合った上級生達にホイホイとついていき、演劇やらボクシングやら学生運動やらに巻き込まれていく。そうやって根無し草のように右往左往しながら何か人生についての真理を掴んだり手放して葛藤したりを繰り返す、なんとも歯切れの悪い人生を歩んでいる。
実は私自身も北海道の炭鉱町生まれで、今は九州に流れ着いて暮らしている。大学への志の無さもコンプレックスの抱き方も私そっくりだ。そしてなぜか伊吹も行きがかりで二度ほど北海道で生活する描写がある。炭鉱生まれという共通項を軸に九州と北海道を反転させたようなストーリー展開に、「これは俺のために書かれた小説なんじゃなかろうか」とすら思わされた。というかそんな稀有な共通項無しにこの小説はとても読み進められないと思う。
この私に似た伊吹という男はどんな人生の結末を迎えるのだろうか。そんな興味本位でページをめくっていったが、残念ながらなんの結論も出ぬまま全然終わりそうにない。五木寛之の年齢を考えると、完結させる気ないんじゃないかと思う。まぁでもおそらく、こんな結論になるんじゃないかという予感がある。その場その場の思いつきであれこれと手を出してみたが、所詮浅知恵、何一つ成就することなく貴重な時間を無為に食い潰してしまった。そんなしょうもなく虚しいバッドエンド。なにしろ今の自分がそうだから。
とりあえず九州にいるうちに一度は田川に足を踏み入れようと思う。目的を定めない人生は振り出しに戻るのだという自嘲を抱きながら、香春岳と中元寺川を眺めたい。