un deux droit

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サザエさんエンドロール

テレビをつけるとサザエさんが放映されていた。

見るのは久方ぶりだ。

サザエさんシンドロームというものが世の中にはあるらしいが、私はそんな心境になったことがない。

明日の仕事がめちゃくちゃ楽しみみたいなことももちろんないが、幸いなことに自殺したくなるほど明日の到来を呪ったこともない。ただ1日が終わり、また新しい1日がやってくる。ただそれだけのことだった。

今日久しぶりに見たサザエさんは、私にとって祝福の鐘だった。長かった土日がようやく終わる。サザエさんからは、お疲れ様、とねぎらわれているような気持ちになる。ようやくこの長い連休にエンドロールが流れている。

コロナのせいでどこに行くあてもなくなり、幼子を2人抱えて私たち夫婦は途方に暮れていた。遊び盛りで、かつ一人遊びができない我が子達と朝から晩まで付き合ってやる×2セット。家事が滞るとそれはそれで平日詰むので、一緒に料理したり洗濯物を干したりとレジャーっぽくなる要素を家事に混ぜ込む工夫を凝らしてなんとかやり過ごした。

子ども達のことはもちろん大好きだが、だからといって疲れないわけではない。子どもとはしゃぎ回る体の疲労。子どもがふざけて怪我したりしないか気を張る心の疲労。子どもが怠けすぎず締めつけすぎないようにほどよくわがままを聞いてやったり叱ったり諭したり交渉したりする頭の疲労。はたから見たら呑気に遊んでいるようにしか見えない親子の間には、自立した個人と個人との真正面からの全力のぶつかり合いが繰り広げられている。

くたくたになり心が折れそうな時、ふと、子どもがいなかったらどんな生活してるんだろうと思うことがある。おそらくそれはそれで単調で退屈すぎて死にたくなるような日々だろうと想像する。

根拠はないのだが、人には定期的に死線を覗き込みたくなる厄介な性癖があると思う。その死線の水準は過去に最も己を酷使した瞬間で、おそらくその時に出た脳内麻薬の味が忘れられないのだろう。

自分が過去に最も己を酷使したのは高校時代に週7でテニス漬けになっていた日々なので、無意識にあの頃の追い込みを欲する体になってしまっていて、そのためにわざわざ難解な妻と子育てに没頭する日々を呼び込んでいるのだとしたら…嫌な仮説だ。

誤算だったのは、高校時代と同じ効果の脳内麻薬が分泌されないこと。原因は恐らく老化。弾がないのにひたすら撃ち続けている状態。残るのは絶望的な疲労だけ。ひょっとしたらエンドロールが指し示すのは日曜日の終焉ではなくて、己の健康の回復不能な毀損なのかもしれない。