un deux droit

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ビジネスマンとして失格の行為

私は今、組織コンサルの端くれとして働いている。

平たく言えば、会社の働きやすさと、仕事の働きがいを高める風土づくりを支援して、支援した会社の業績向上に寄与するのがミッションだ。

そういう仕事をしていると、顧客からのヒアリングをしている段階で、明らかな解決策が露見することがある。それこそ、回りくどくコンサルを使ったりしないで、明日からすぐに着手できるような施策があるのに、着手されていないのだ。

会社の業績と自分の評価を考えれば、金にもならない形で善意のアドバイスをして、結果顧客の問題が解決してしまってはただのお人よしだ。答えが見え透いていても、まずは意識調査を実施して定量的な分析をかけ、課題解決のためのなんちゃってワークショップを開催し、かだいかいけつ力を高めるじんざいいくせいセットを押し込んで、がっぽり儲けた後に、初めて冒頭の答えに到達したような立て付けにするのがしたたかなビジネスマンのやり方だ。私にはそれがどうしてもできない。

 

先日もある顧客から、内製で実施している意識調査の設問を見直したいので来てくれと言われて、のこのこと馳せ参じた。さっそく過去の調査結果のデータを共有してもらい、意識調査についての現状の課題をヒアリングしようと思っていろいろ質問を重ねていくと、担当者から業務マネジメントについての愚痴がこぼれ出てきた。どうも上下の情報伝達の巧拙が気になるとのこと。担当者いわく、全職場を視察したところ、上長の伝え方や場の開催方法がそれぞれ自己流で、やり方が平準化されていなかったそうだ。そのことを上長たち自身は認識しているのかと尋ねると、どうも自職場のやり方しか知らず他の職場がどうやっているか誰も知らないらしい。それどころか、全職場の情報伝達のされ方を横断的に観察したのは、この目の前に座っている担当者が会社で初めてだったのだ。

 

「いや、そしたら上長同士でよその職場の会議見学し合うだけで済むじゃないですか」

 

私は呆れながら思わず軽くツッコんだだけのつもりだったのだが、担当者は雷に打たれたような表情を浮かべ、

「それはナイスアイディアですね!!上司に提案してみます!!」

と目を輝かせていた。

 

それから数週間後、2回目の打ち合わせに行ってみると、件の提案は上司から「それは面白い!」とあっさり承諾され、管理職層からもぜひそれはやりたいとの声が挙がったようで、早速実施準備に取り掛かっていますと、無邪気な表情で報告を受けた。私の脊髄反射は目の前の担当者の手柄となり、めでたく大団円を迎えた。「問題解決したんで意識調査やる必要なくないすか?」とどめの一言を自ら刺す。「あー、そうですね、まずこの取り組みやるのが先かもです。すみませんがいったん保留でお願いします。」「頑張ってください。応援してます。」交通費と人件費をかけたボランティアが幕を閉じた。

このように調査ばっかりやって、具体的な策を一つも打たないで現状が変わらずうんうんうなっているの組織は本当に多い。ちょっと考えればわかるけど調査は健康診断と一緒で、受ければ受けるだけ健康になるわけではない。生活習慣を改めなければ診断を何度受けたところで同じ烙印を押されるだけだ。逆に言うと改めた生活習慣が効果的かどうかを確認するために次の健康診断がある。この顧客に必要だったのはより精密な調査ではなく、具体的な処方箋だ。私は、いくら診断しても健康にならないんで診断自体を見直したいと言ってきた愚か者に「いいからその手に持っている酒を捨てろ」と言ったまでだ。個人に例えてみればこんなに単純なことなのに、組織のこととなると途端に難しく考えはじめ、手数が鈍るのは人の性なのか。調査の後に「じゃあどうする?」というアイディアが組織の中から一つも出てこなかった顧客に対し暗然とした思いになる。

結局だれも責任取りたくないだけなんだよなぁ。

アイディアがあっても否定されるリスクを恐れて飲み込む。

それを繰り返すうちにアイディアを出す能力自体が枯れる。

そんなんだから第三者の他愛もないアイディアが輝いて見え、すぐに飛びつく。

アイディアは万能ではない。一つの問題が解決すれば、そのおかげで発見すらできなかった次の課題が視認できるようになる。そうすればまたすぐにアイディアを出さなくてはならない。そうやって自分たちで思いつくことは全部やってみた先に本当に第三者を頼らねば越えられない課題が出てくる。なんて青臭いことを考えて目先の利益を確保しない自分は半端者なんだと思う。カモが向こうから食べてと言っているんだから、ありがたく手を合わせていただけばいいのに、自分でも根性が曲がっていると思う。生きにくい性格だ。