un deux droit

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待望の仕事始め

ようやく、ようやく保育園が開いてくれた。

9日間に及んだ子ども達との闘いがついに幕を閉じた。

今日ほど会社の存在に感謝したことはない。

自分の言葉が通じる。

相手の言葉がわかる。

このことだけでもはや感動ものなのだ。

コミュニケーションが負担なく成立することが、いかに奇跡的なことなのかを思い知らされた。

下の子は何を求めているのかよくわからない。

上の子はこっちの求めていることを一向にやってくれない。あるいはやって欲しくないことをやめてくれない。

コミュニケーションの不成立があまりにも長く続くと精神が崩壊しそうになる。


俺の


気持ちを


わかって


!!!!


実際口には出さないものの、頭の中では自分の鼓膜が破れるほどの声量で叫んでいる。


だから、仕事でのあまりにもなんの引っ掛かりもなくこちらの依頼に応えてくれたり、さらにお願いしてもいないことまで気を回してくれてより私が望む結果をもたらしてくれる大人の皆様が神様に見える。あまりにもありがたくてすがるように感謝を示してしまう。

相手も当たり前のことをしただけなのにめちゃ感謝されて意気に感じたのか、またいつでも力になりますよと頼もしい発言をしてくれる。


子どもを持つことは幸せより苦しみの方が多い。でも子どもを持つ人が増えたら社会は感謝に溢れて人に優しくなり結果的に住み良くなる。なので、個人の選択としては子どもを持たない選択は大いに結構だと思うが、社会にとってはメリットばかりなので、もっと露骨に子作りのインセンティブ高めて、勘違いして子供作っちゃう成人を量産した方が良いと思う今日この頃。