un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

リベラルに憧れるパターナルな父親

4歳児の長女に優しくできない。

しばしば、自分の思った通りに行動させないと気が済まなくなる。

やってと言ったことをいつまでもやらない。

やるなと言ったことを何度もやる。

そんな事を繰り返されるうちにわがままへの耐性が弱まってしまい、最近はほんの二度三度のおいたも我慢できなくなっている。

 

怒りで声を震わせ、濁声で怒鳴りつける。

 

手を出すには至らないものの、娘からすれば言葉の暴力と捉えられても仕方がないだろう。本人の主体的な自由意思を全て斥けて、100%父親の言いつけ通りに行動することだけを要求されるのだから。

本人は少し怯えているかもしれない。

親の顔色をいちいち伺っているかもしれない。

自分の意思を押し殺して、無気力になっているかもしれない。

そこまでわかっていても、自分の感情の爆発を抑えきれない時がある。

 

仲直りして夜添い寝するときに、抱きしめてくれる事をせがまれることがある。

きっと無償の、無条件の愛情を求めている。

私はここにいていいんだという安心感を欲している。

そんな控えめなおねだりをされて、申し訳なくて情けなくなる。

 

理想としては、伸び伸びと自由にやりたい事をやらせつつ、間違ったことや悪い事、わがままを言われたら優しく窘める、そんな温かい眼差しを持った懐の広い父親でありたいし、自分はそんな人間であるとも思っていた。

でも一方で、子どもを意のままに支配し、命令に従わせ、自由で無邪気な意志や行動を許せない横暴な独裁者でありたい自分も、間違いなく存在する。

 

おそらく自分自身が自由を制約され束縛されていると不満に感じているから、子どもの自由さが憎く、羨ましく、妬ましいのだと思う。自分がこんなに苦しんでいるんだからおまえも苦しめ、楽しく生きているんじゃない。お前も俺と同じ惨めさ、窮屈さの中で小さくしていろ。そんな毒を子どもに投与している。

自家発電で自分を満たしてあげられる何かを見つけないと、本当にやばい。

 

 

…と、いうことを3ヶ月前くらいに書いた。

あまりに酷い内容なので公開を躊躇ったが、直視すべき過去だと思ったので晒すことにする。

 

幸いなことに、長女は強情にも、相変わらず好き勝手やっている。卑屈にならないたくましい精神の持ち主だ。

 

そういえば、このエントリを書いてから怒鳴りつけは無くなった気がする。書き出すことで頭が冷めて、毒が抜けたのかもしれない。

このブログの存在は自分が正気でいられるための精神安定剤になっているみたいだ。