un deux droit

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子育ての中毒性

次女の夜泣きが相変わらず酷くて、慢性的な寝不足が続き、当方若干グレ気味である。

何でこんな辛い思いしなきゃならんの?子を持つことは罰ゲームなの?昼間眠くて仕事にならんのだけど。自分が会いたい時だけ会って、世話を焼きたい時だけ焼いて、それ以外の時間は全部ベビーシッターさんに丸投げしたいー深夜の時間帯はこんな不毛な気持ちがむくむくと湧き上がってくる。

そのくせ朝が来てすっかり機嫌の治った次女の満面の笑みを見ると、こっちまでニヤニヤしてしまって、不快な気持ちが雲散霧消。そして今、昼時の睡魔と格闘している。こんな日々のループが2ヶ月近く続いている。

それにしても子どもの笑顔はずるい。無敵である。理屈じゃなく強制的に親の機嫌をくすぐる。どれだけ迷惑をかけられ、憎々しく思っていて、絶対許さんと意思を固くしても、笑顔ひとつでするすると感情をほぐされてしまう。一体どういうメカニズムなんだ。0円のスマイルで親からいとも簡単に無限の奉仕を引き出していく。もはやこれは中毒や洗脳の世界だ。私の意思は制御できていない。

 

日中仕事をして子どもと離れている時間、子どもを持つことのメリット・デメリットをしばしば考える。利己的な気持ちだけで言えばデメリットの方が遥かに多い。子どもが小さいうちは寝不足で日中のパフォーマンスをしばしば毀損させられる。そうでなくても時間的制約があり、自分の欲する仕事の成果や地位の獲得は指を咥えて諦めざるを得ないことも多々ある。勉強、レジャー、趣味の時間も満足に取れない。社会の変化に置いていかれている焦燥感が常にある。こういう自分本位の欲求不満を丸ごと抱え不機嫌な表情で保育園へお迎えに行ったのに、我が子の姿を見た途端、鬱憤が恍惚に裏返る。構図としてはアイドルであったり、ソシャゲであったり、もっと言えばキャバクラのねーちゃんに入れ込んでカモられているのと何ら変わらない。育児ブログであれこれと子育ての高尚な意義とか人間としての成長とかを唱えている人がいるが、そんなのは後付けの屁理屈だ。素直に私カモられています、キャリアの上ではマイナスでしかありません。でも幸せなんです、と認めてしまった方がいっそのこと清々しい。

現代社会において子どもを持つことのメリットが実質的には無くなっていることが明らかなのに、野放図に子どもを拵えてあくせくする人たちを嘲笑するバリキャリの方々の主張も共感する点はある。自らがわざわざ足枷を抱えこみにいっている姿を愚かしく思うのだろう。そういう人たちが子どもを持たないことによって地位や名声、金金金をより多く得ているのが事実だとしても、結局そういう人たちは地位や名声や口座残高の増加やブルジョアな暮らしに中毒になっているに過ぎない。何に没頭するかの違いであって没頭している状態には変わらないのだ。結局長い人生何かに没頭しないとやってられないくらい死ぬまでの時間は長いし、蓄えた材は何かに消費しなければならない。自分の時間を何に没頭することに費やすか、自分の財を何に消費するかは極めて個人的な好みにならざるを得ず、どの人から見ても日の打ちどころのない時間とお金の使い方は存在しない。ヨガも皇居ランもフレンチのフルコースも世界一周クルーズも絵画もストラディバリウスも宇宙旅行も素敵でもあり馬鹿馬鹿しくもあるのだ。自分自身にとって絶対的な意味があればそれで良し、としか言いようがない。

子育てに従事することの対外的評価は私が味わう恍惚感と比べて随分低めに見積もられているなと感じてはいるが、まぁこれも個人の感じ方なので人に手放しでおすすめはできない。他人から見えるみすぼらしさよりも当人の幸福度は案外と高いよとだけは言っておく。