un deux droit

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真面目に惨めに生きる

最近の我が家の夫婦間対立の元凶がようやく判明した。

私がこの家庭と妻に依存しているせいだ。

 

私はこの環境を失った時の惨めさを思うといたたまれなくなる。

だから余計なことをして追い出されないようにとビクビクしている。

何かにつけてできるだけ妻の意向に沿おうとして、自分の考えを容易に言わない。

そのせいで妻が何でも考えならばならず負担が偏り不満につながる。

妻が私に対する不満をぶつけると、私は生活を失う恐怖から、ひどく落ち込んだり逆ギレしたりと過敏に反応する。

そのせいで妻が気安くダメ出しができず、不満につながる。

そんなことを積み重ねていけば結局どこかで匙を投げられる。絶対壊すまいと強く抱きしめすぎて粉々に割ってしまうのだ。

こんな皮肉なことにならないためには、実は逆のアプローチ、つまり、そりが合わなければいつでも解散していい、という心持ちでいた方がいい。

自分には思うところがある。伝えたいことがある。でもそれが相手にどう受け止められるかわからない。自分の意に沿わない受け止められ方をするのが怖い。そんなモヤモヤを抱えているうちに最初に伝えたかったことがなんだったのか迷子になり、結果本当に伝えたかったことじゃない言い方になってしまう。その歪んだメッセージが相手を不快にさせた時、それが自分の本意ではないのに本意と受け止められて心外だし、そうなるくらいなら本意をストレートにぶつけて衝突になった方がまだ責任が取れる。相手が批判する自分と、自分が認識している自分が一致しているからだ。それで解散になるならば残念ながら相性が決定的に合わなかっただけで、どちらのせいでもない。世の中にはそういうこともある。そう達観して新しい生活を始めたらいいのだ。そうやって自分の力ではどうにもコントロールできないものをどうにかコントロールしたい気持ちを手放して、自分の良心を疑わないで生きていく方がよほどシンプルで清々しい。いかに等身大が醜く怠惰でみすぼらしくとも、背伸びして脚色してごまかせるものでもない。欠点を隠蔽しない立ち振る舞いが、仮にそれで幻滅されようとも、誠実であることに違いはないのだ。