un deux droit

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怒られるのが嫌すぎて

最近妻とのコミュニケーションが顕著に壊れてきた。

細かすぎる指摘、止まらない愚痴、許されない反論、しかし求められる自己主張、混迷の先には暴力。袋小路で針の筵な環境にずっと立たされて、率直に自分の考えを表明することが困難になってしまった。

そんな私がたどり着いた極地。それは、「〇〇についての話をしていいですか」「〇〇という意見を言っていいですか」という、すでに文中で言ってしまっていることに対する発言の許可、という意味不明な文法の繰り出しだ。当然、その発言は妻の噴火口を焚きつけ、余計な叱責を生む悪循環に陥っている。

自分でも何を言っているかわからない。

ただ言葉が口から漏れ出ている途中で、暴力への恐怖心が芽生え、文末が当初予定していたものと違う形に歪に変形してしまうのだ。


もうとにかく怒られたくない。でも日々の暮らしを運営する上でコミュニケーションは避けられない。でも何が気にくわないのかは他人だから結局先にわからない。だから概要だけ述べて、怒らないことを確認して、言質を取ってから具体論に入りたい、という気持ちが止められない。

妻からは、言葉を人質に取られるみたいで気持ち悪い、人をコントロールしようとするな、保険をかけるな、保身をするな、防御を固めるな、そういう話の入りをするならその先は聞かないと突っぱねられた。

妻の言い分はごもっとも。話し始める前にあらかじめ人の反応を自分のコンフォートゾーンに制限するようなお願いをするのは不躾だ。自分でもその意気地なさを情けなく思う。暴言のサンドバッグになる心の強さが自分にないだけだ。

私が困惑しているのは、筋肉も過度に酷使すると怪我をするように心も傷つくということ。そして傷を癒すための時間が確保できないまま次の負傷がやってくること。控えめに言って詰んでいる気がする。