un deux droit

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足を踏まれる僥倖

通勤途中の電車内で、女性にひどく足を踏まれた。

ピンヒールで撃ち抜かれた私の足の甲は痛みに悶絶しているが、私はそんな苦悶の表情を一切浮かべず涼しい素振りをしていたので、女性の方はいったい誰の足を踏んだのだかわからず当惑していた。


自分でも驚いたのだが、どうも私は、痛みと怒りの間の回路が断線しているようだ。

痛みは痛みとしてしっかり受け止めつつ、脳内では、まぁそういうこともあるよね、今ちょっと揺れたし仕方ないよ、お互い様さ、むしろ足はならなかったかい?とハンサムボーイを気取っているのだ。

この事象を人間の成熟と見るべきか、日常への満足度の高さと見るべきか、マゾ気質の発露と見るべきか、心身の耗弱と見るべきか、暴力への馴致と見るべきか、私は判断しかねている。恐らくそのどれもが当てはまるのだろう。

たまにおっさんが今日の私と同じように女性に足の甲を撃ち抜かれているのを第三者的に観察する機会に恵まれることがあるが、おっさんどもは一様に不快な表情と睨み、舌打ちと決め込んでいた。自分はああいう態度を取りたくないなぁ、でも咄嗟のことだったらああなってしまうのかなあと常々思っていたのだが、どういう理由にせよ彼らとは同じ性質を持ち合わせてはいないことが証明できたので、その点では大いに満足である。