un deux droit

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心身ともに健康であることのありがたみ

昨日、通勤途中の列車内で若い女性が急にその場でへたり込んだ。

貧血なのか熱中症なのか、顔色は真っ白でうつろな目をしていた。

周囲の人がハンカチを貸したり手持ちの扇風機をを渡したりして介抱していた。

ターミナル駅につき、そそくさと先に降りた自分は、

「そういえば、日常的に起こるような不具合、なんにも抱えてないなぁ」

ということに気付いた。

頭痛も腹痛も動悸息切れもなければ、鬱でもADHDでもその他諸々の神経症でもない。

昨日も今日も明日も変わらぬ日常として過ごせることを有難いと感じることもないくらい自分は健康で、それは本当に幸せなことなんだろうと思う。

そういえば昨日ひどいDVを受けた。

頭部を殴る蹴るひっぱたくものをぶつける罵詈雑言を浴びせかける等、有形無形の悪意をありったけぶつけられた。

妻曰く、「お前は精神的な暴力を私にしているのだから、私は肉体的な暴力で報復する」というワンダーな理論でやりたい放題やっていた。

私が言いたいのは、妻がいかにひどいか、ではない。

その後の自分があまりにもケロッとして心身ともに健やかであることだ。

DV後何とか修復までこぎつけて日常を取り戻したからというのもあるけれど、暴行を受けたことが今までの人生で妻から以外になかった私は、ここまでやられてしまっては、そのショックのあまり、心を病んでしまうのではないか恐れていた。

 

「やばい、この衝撃は心病むレベルかもしれない、どうしよう、そんな状態に自分はなったことが無いからそうなったら対処のしようがない、不安だ、怖い、自分が自分じゃなくなってしまうかもしれないことが、だってあんなこと経験したことなかったし、自分の身に降りかかるなんて考えもしなかった、ああ、どうしたらいいのか、あんな目に遭って人は耐えられるはずがない、絶対心のどこかが毀れた、やばい、ああ、痛い、痛いよ心が、痛い、、痛い、、、あれ、、、痛くない」

 

そうなのだ。ぜーーんぜん、平気のへっちゃらだったのである。

何が起きたか、何をされたかは、かなり忠実に脳内で再生できる。

しかし、思い起こしても、あぁそんなことがあったなぁとぼんやりと思うだけで、トラウマのような感情の乱れが全然起きないのだ。

おい、俺。ちょっと鈍すぎやしないか。涙の一つでも流してみろよ。あれが平気とか別の意味でヤバいぞ。感受性毀れてんじゃねーのか。なんで何もなかったかのように平然と妻と同居できているんだよ。論理的じゃねーよ。てか妻もやべーよ。あれだけぼこぼこにして人類事情最低の屑呼ばわりした人となんで同じ空間で鼻歌うたいながらテレビ見てんだよ。機嫌直った後に「ごめんちょっとやりすぎた」テヘペロじゃねーよ。犯罪だよ犯罪。後にやりすぎたと思える人があそこまでやり過ぎられることが信じらんねーよ。振れ幅大きすぎるよ。冷静になった後も「あれはやりすぎではない」とイカれたまんまでいてくれた方が一貫して頭のオカシイ人認定できて対処に困らないんだよ。あー俺も相手も頭おかしい。おかしいぐらい健康。今日も元気にニコニコ明るく楽しく暮らしています。ホント丈夫に頑丈に産んでくれてお母さんありがとう。おかげで環境耐性が強すぎて環境を変えられずにいます。