un deux droit

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空しく響く、陸マイラーの「皆もやればいいのに」アピール

私は知人に2人、陸マイラーがいる。

 

陸マイラーとは、本来飛行機の搭乗で溜めるマイルを、飛行機に乗る以外のあらゆる手段を使ってマイルを創造し、そのマイルで豪華な旅行を楽しむ種族のことだ。

お金をかけずにいい思いができるということで、当人たちは海外旅行をファーストクラスで優雅に楽しむ姿をFBに投稿しては

「なぜみんなやらないのか理解できない」

としきりに呟いている。

彼らは陸マイラーにならない私(とのその他大勢)を哀れに見ている。

私はそんな彼らを哀れに見ている。

そんなのに時間使って空しくない?とか、結局のところ生活がマイルを貯めるという目的に拘束されてない?とか思うのだけれど、彼らはそんなこといっこうにお構いなし、とても幸福感に満ち溢れている。

そこでなるほどと思ったことが一つ。

つまり彼らは、マイルを貯めるという行為そのものに至福を覚えているのだ。

私にしてみれば、たとえ「何年かに1回豪華な海外旅行」というゴールが元手無しで実現可能だとしても、そのプロセス(使いもしないクレジットカードを延々と発行したり、買い物のいちいちでマイル還元率の高いポイントを漁ったり飲み会の幹事を買ってでてマイルの溜まる店をチョイスして支払いを代行したり)が苦行でしかないから全く割に合わない、と感じてしまう。

けれど、彼らはそれらの努力が苦痛ではない。ただそれだけなのだ。

「何年かに1回豪華な海外旅行」というのがゴールであるならば、それを実現するプロセスはそれこそ無数にある。まっとうに稼ぐのも良し、ギャンブルで一山当てるのも良し。そのプロセスの中で自分がもっともそのプロセス自体を楽しめるものを選べばよい。どのプロセスが一番効率が良いとか確実かとかはこの際関係ない。やりたくないものはやりたくないのだから。

陸マイラーとなって海外旅行に行くのも、造花の内職をして海外旅行に行くのも、どちらもプロセスを楽しめたのならば、主観的な価値的には何ら変わりない。なのになぜか陸マイラーは他のプロセスでゴールにたどり着いたものを冷笑する。払わなくていい金を払ってバカみたい、と。おそらく無から有を生み出している気になっているからだろうが、決して無ではない。無だと感じるくらい苦痛が無いだけだ。

 

陸マイラーを哀れに思うのは、一度そのプロセスに嗜癖してしまうと、そのプロセスを経由してでしかそのゴールを楽しめなくなってしまうであろうことだ。つまり、自分の身銭で旅行することを損していると感じてしまうことが、私には不要な制約を自分に課していて損だと思う。そういう中毒性があるということ。

あとは、他人をマイル生成装置と見ている人、と見られることによる人間関係を毀損するデメリット。私自身、ちょっと引いて彼らとは距離を置いてしまっている。

そして何よりも、あまりに俗物的であること。メリット・デメリットという価値観以外はどこかに置き忘れたのではないだろうか。航空会社が急にシステムガラッと変えてマイルに旨味が無くなったら、彼らは何をよりどころに生きていくんだろうか。ふるさと納税とかか。それもいつまで続くか…

 

彼らが今後も継続して幸せでいられるかどうか、ウオッチしてみようと思う。

 

ちなみに、私自身について言えば、「海外旅行なんか金もらっても行きたくねー」派。海外旅行の価値に共感できない人が一定数いることも彼らは見えていないようだ。