un deux droit

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候補者の選定指針に見る、れいわ新選組の本気

先月の今ごろ、自分は失望していた。

自分が支持する立憲民主党から、須藤元気が出馬するというニュースを目にしたからだ。

おっくんあたりからから怪しいと思っていたが、須藤の出馬、さらには市井紗耶香が続き、失望は決定的なものになった。


でも、その理由が自分の中でうまく整理できなかった。

「やってること自民党と変わらんやん」

そうぼやいても、まぁ本人が意欲あるなら過去の経歴は関係ないし、著名人が政治家になること自体がけしからんというのはあまりに狭量というか、半分やっかみになってしまう。

民主主義と対立する要素を含む立憲主義を掲げ、両者のバランスを取ろうと権力の行使に抑制的な姿勢を目指す立憲民主党の方針には共感しているんだし、100パーセント候補者全員が納得感のもてることなどないのだから、多少の違和感は目を瞑るべきかと思った。


しかし、その失望の理由の謎を解く出来事が先週あった。

れいわ新選組から重度の障害を持つ方が2名出馬するというニュースだ。

しかも比例の固定枠。

この捨身とも取れる等の決断に私は痺れた。


この党としての姿勢から、私は勝手に二つのメッセージを受け取った。


一つは、

「彼らは私たちの別の姿だ」

というもの。

彼らほど身体機能的に制約されている人はそうそういない。五体満足の大半の人からすると、自分とは違う人のように映るかもしれない。

でも一方で、その五体満足の一般人の大半は、金銭的、精神的、人間関係的、能力的など様々な制約の中で苦しんで暮らしている。

ベクトルも程度も違う生きにくさではあるけれども、彼らはひょっとしたら『自分たちを映す鏡』なんじゃないか。私たちは彼らほど外見的に分かりやすくないけど、課せられた制約の中でもがき奮闘する仲間として捉えることはできるんじゃないか。

そう捉えることが可能ならば、その制約からくる困難さはもしかしたら黙って甘受すべきでないものもあるかもしれない。社会の仕組みで緩和できる苦しみはどんどん実現しよう。必要な助けはもっと堂々と借りて、みんなで助け合おうよ。

彼らがたくさんの健常者の力を借りて出馬表明する姿は、日本にはびこっている自己責任論とは対極の在り方を示してるようで、清々しく感じた。


もう一つは、

「政治は選挙で議員を選んで終わりじゃねーぞ。選んだ議員を通じて社会を変える行動を続けるんだ」

というもの。

彼らが仮に当選した場合、果たして政治活動を全うできるのか、正直に言うと最初疑問だった。自分の考えをどう伝え、有権者の声はどうやって拾うのかと。

でもよく考えると、必ずしも政治家が気忙しく日本中を飛び回る必要はない。届けたい声があるなら自分から向かえば良いのだ。対面でなくてもメールでのやり取りだってできる

つまり、有権者の側が政治家の世話をあれこれ焼いてやるのだ。

よくよく考えてみると、そもそもその対等性が本来の政治家と有権者のあるべき関係なのかもしれない。今までが『先生』に頼りきりすぎたのだ。

そう考えると冒頭の違和感の正体もわかる。

立憲民主党の候補者は『弱者の味方の強者』

なのだ。エリートや一芸に秀でていて、自分自身は何も困っていない。それが悪いと言っているんじゃない。(強い)私が、(弱い)あなたたちの代わりに、良い社会を作ってあげますよ、という構図にどうしてもなってしまうということだ。つまり、プロセスはお任せ、結果だけ享受してください、という姿勢だ。みんなの政治と言っておきながら、最後のコントロールは政治家の専権事項という構図そのものは変える気の無いところが立憲民主党の限界なのかもしれない。

もちろん有権者だってそういう政治家に依存してきた。間接民主制というのは、直接民主制がいいに決まっているという前提で、効率性の点からやむなく議決プロセスを簡素化したに過ぎないものにも関わらず、有権者のマインドは直接民主制のもつ主体性を失っていた。その事をれいわ新選組は思い出させてくれた。

長くなったがまとめると、政治をみんなのものにする、ということをれいわ新選組は本気でやろうとしている。

これまでの日本の政治の歴史を考えるとあまりに性急で、無謀だけど、私はとても共感する。


政策はどれがいいかなと消費者気分で選んでいる場合じゃない。どの商品も売り手都合の手垢にまみれているから、お得なようでいて実は高いものをつかまされている。

小売りと卸を中抜きして直接生産者と繋がろう。


よくわからない例えになった。


とにかく今回の選挙は選んでお任せしか選択肢のなかった今までの選挙とは違う。

選んでからも政策決定にアクセスできる選択肢が増えたのだ。

と、私は勝手に解釈している。


れいわ新選組が躍進したら、色々な政策志向を持つ集団で同様の戦略を取り始めると思う。そうなったら結果的に右が延びようが左が延びようが今より良い社会に違いない。

そういう時代変化の潮目にこの参院選がなってほしい。


楽ちんだけどワクワクしないか、面倒だけどワクワクするか。

有権者は何を選ぶだろうか。