un deux droit

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イオンで味わう充実感

昨日は一日中イオンで過ごした。


イオンの無料遊び場で子どもを遊ばせ、イオンのフードコートで昼食を済ませ、イオンで開催されている子ども向けイベントに顔を出し、イオンの食料品コーナーで夕飯の買い出しを済ませたら一日が終わってしまったのだ。

独身時代の自分からすれば、そんな休日の過ごし方なんてあまりに惨めで、自分が子どもを授かったとしてあのような生活習慣にはなるまいと高を括っていたのだが案の定の顛末である。


イオンというのはどの店に行っても金太郎飴的で代わり映えすることはない。

フードコートの飯は値段の割に大して上手くもないと分かりきっている。

その消費スタイルには何の個性もなく、パッケージ化された人工的で無味乾燥なものでしかない。

それでも、子育てで体力も資金も自由にならず、子どもが楽しめる過ごし方に制約があり、お漏らしや急な睡魔、原因不明の不機嫌など子どものアトランダムな問題発生に苛まれる現在の環境において、それらの諸課題に完璧に対応できるイオンは最善の選択肢なのだ。

この選択よりもちょっと贅沢したり、ちょっと大人よりの嗜好にしたり、ちょっと洒落たことをすると途端にバランスが崩れ、味わえる幸福よりも疲労が簡単に上回ってしまうだろう。

しかし、私が驚くのはイオンという商売の中毒性ではない。そのビジネス設計の緻密さを礼賛したいわけでもない。自分がそんな日常に充足感を味わい幸福だと思っていることだ。

 

それまでは、日常の充足感や幸福感は、それがいかに優雅で豪華で特別かどうかの差異で決まると思っていた。

それが、与えられた環境や制約条件の中でできうる限りの最善を尽くせた、ということ自体に充足し幸福を覚えることができるようになった。

つまり、充足や幸福の住処を客観的・相対的なところから主観的・内面的なところへお引越しすることに成功したのだ。

これは子育てを通じて自分が成長できた、大きな成果のうちの一つと言えるだろう。


薄々、充足や幸福の住処のお引越しの必要性は感じていた。

けれどもなかなかそれは難しくて、どうしても他人と比較し羨んだり悔しがったりして、手元の資産を過小評価してしまいがちだった。

それが子育てをきっかけにして荒療治できたのは、棚ぼたとしか言いようがない。

子育ては無意味に思える苦痛があまりに多いが、ひょっとしたらその苦痛の数々は、親の抱える煩悩を取り払う禊の役割を果たしているのかもしれない。