un deux droit

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失われゆく、生きる意味

夜泣きの対応を毎日していると、俺の人生なんなんだろうと思うことがある。

騒音の中、オムツを替え、ミルクをやり寝かしつける。

ただひたすら、毎日それだけを続けている。

その役割がなくなったとして代わりにその時間にできることといえば寝るだけなのだが、そう考えるとどっちにせよ意味のないことに思えてくる。

ただ単純作業に勤しむか、惰眠を貪るか。


多分、ただ生きているだけの赤ちゃんと向き合い続けているからこんな心境になるんだろう。

自分自身子どもから成長して大人になり、自分なりの信念を確立し、社会に出てなにがしかの役に立っているような気になっているけれども、そんなのは全て錯覚で、本来究極的にはどんな存在も無意味で無目的だ。

だからといって死んでしまうのも怖いし面倒なので、当座は期待されているということになっているかりそめの役割を全うしながら生きながらえていくしかないのだが、圧倒的な無意味さと無目的さの前にただ佇んでいるだけであることを自覚した人間の行き着く先は無気力か、何かに盲目的になるか、狂人になるかが関の山であろう。

自分の胸に問いかければ、それならば無気力しかなかろう、というなんとも間の抜けた回答しか得られなかったので、その心の奥底の白けを強烈に自覚しながら、戯れに盲目か狂人を演ずるような時間の潰し方をしていこうと思う。