最近妻と私とで、次女に対する感情に乖離が出てきた。
妻は変わらず溺愛するが、私は愛おしいという感情が生じにくくなってきたのだ。
これは、次女の夜泣きが悪化してきたことに起因する。
これまでは大体深夜一回授乳すればよかったし、授乳したらすぐ寝てくれた。
最近は二回起き、飲み終わったあとぐずるようになった。
今日は1時と4時半に2回。
4時半に起こされるこっちの睡眠満足度は最低。そんな時に限って次女はぱっちり目覚めてしまい、ミルクを飲んでも寝ない。頑張って抱っこしてあやすとうとうとするが、置くと火がついたように泣く。三回これを繰り返した段階で5時半になっている。
私がギブアップし電気をつけ、栄養ドリンクをがぶ飲みして、とことんまであそばせることにする。
最悪の一日の幕開けだ。
もう一睡眠したい欲望を断ち切るため、感情のスイッチを切る。泣こうが喚こうが、淡々とやることをやるのみだ。
七時過ぎ、長女と妻がご機嫌に起きてきて、次女を愛でる。
次女もさっきまでのぐずりは何処へやら、最高のスマイルで二人をお出迎え。
この時点で二人は、私と次女の間で早朝の死闘があったことは知る由もない。
そうやって三人で勝手に幸せな朝の団欒を済ませ、各々が職場や保育園に向かったのち、また私と次女の死闘が再開するのだ。
人の泣き声を聞き続けるというのは本当に精神が参る。
単純にうるさくて不快だし、否定的な感情をぶつけられ続けると傷つき苛立つ。
赤ん坊だからやむなしと、不愉快な感情を理性で断ち切ったら、今度は愉快な感情まで起きなくなった。
きっと、下手に可愛いという肯定的な感情が沸き立つと、泣き喚かれた時に否定的な感情が引き起こされてしまうからだろう。
そうならないために、感情を極力通わせず、ただただ機械的に対応し続けるほうが育児のクオリティは安定するのだ。
目指す境地は明鏡止水。
純粋に赤ん坊を可愛がれる妻を羨むことなく、今日もやるべきことを淡々と済ませようと思う。