un deux droit

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人生の縮図とも言えるガチャ系ゲーム

私はガチャ系ゲームが好きである。

課金は絶対したくないので大概2週間から1ヶ月ほどで飽きるのだが、一年に一度は無性にやりたくなる。

なぜ自分は時折衝動的にこの手のゲームに手を出してしまうのか、それは、少し大げさな言い方になるが、人の一生を一つのアカウントを通して疑似体験できることにあるのではないかと思っている。

これらのゲームは、レアで強いカードやアイテムを集めただけでは覇者にならない設計になっていることがミソである。金をかければそこそこまではいけるが、トップにはなれない。

大概この手のゲームでは、開始から1週間ほどはプレゼント漬けにされ、素人でもそこそこなレアキャラを簡単に入手できるところから始まる。

そして進めていくうちに実は序盤で手に入れたあのアイテムや、不要と思って捨てたキャラがかなり有用で貴重なものだということが途中で分かる。あるいは育て方には一定の作法があったりして、それが判明した頃にはもう不可逆的な状態になっている。この状態になるとそれ以上無課金で進めていくのは先がないとわかり、私はアカウントを削除してもう一度始める。

最初から攻略サイトを見てやれば悪手は打たないのだが、自分にまだやったことのないゲームの専門用語をやる前から読み砕き内容を理解する手間を惜しんでしまい、結局最初のアカウントを無駄にしたほうが早いというのが自分の結論だ。

2個目のアカウントでは最初のアカウントの二の轍を踏まぬよう丁寧に進める。

しかしある程度まで進んでからはゲームの戦略が複雑であることをようやく理解し、ただキャラクターを強化しただけでは進めなくなってくる。

そこから先は何でもかんでもいいとこ取りはできず、限られた資源の中でどういう方向性を諦めるか、という選択を強いられる。言い換えれば、自分がこのゲームをどう楽しむかというビジョンを定めないと全ての要素が中途半端になるように設計されているのだ。

プレイを続けて行くうちに自分は以下のことに気づき始める。

1.課金でも無課金でもとにかく没頭した人がその世界の覇者になれるということ。それには常人の神経では苦行とも思える時間を躊躇なく投下できること。

2.そのゲームで成功する要素の大半がガチャというランダムな要素に依っていように見せかけておいて、その実プレイヤーの人格が見事に反映された結果になること。

3.先行者が圧倒的有利で、長くやったほうが恩恵を受けられること。

実際の人生における競争で勝ち残る上で必要な要素とそう大差ないのではないかと感じている。

そしてそれらの要素はどれも自分の性質から欠落した要素であり、しみったれた内容のアカウントを、うだつの上がらない自分の人生に投影して自分の人生ってつくづくこんなもんだよな、と、しみじみとその事実を受け容れるにいたるのである。

何とも哀れな男だと我ながら思う。

そんなことをわざわざ反芻するために、今日もまたログインする。