un deux droit

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働き方改革の本質

働き方改革。

それは残業制限、副業解禁、ダイバーシティ、高度プロフェッショナル制度と、様々な切り口で語られるが、どれも本質的なことに触れていないと感じている。


私の思う働き方改革の本質は、

自分が『働くこと』の価値や意味を決定する権利と義務を自らの手に取り戻す、ということだ。


これまでは一人一人の『働くこと』の価値や意味は、雇用主が決定することができた。

雇われた側は、雇用主から与えられた価値や意味をどれだけ体現できるかだけが存在理由だった。

それが可能だったのは、一人一人にいちいち

価値や意味を設定する時間的余裕が雇用主側にあったからだ。

しかし、もうそんな余裕は雇用主にない。

あまりに目まぐるしく社会は変化し、ビジネスの前提は覆され、複雑になっていく。

そんな環境で一人一人のキャリアにいちいち構っている暇はないのだ。

だから雇用主は決定権、つまり長く一人の人を恣意的に拘束する権利を手放した。

そして決定権の行使に伴う義務、つまり長期的に生活を保障する義務からも免除されようとしている。

そのように私は解釈している。


個人的には人材はもっと流動化した方がいいと思うので、働き方改革の徴候の全てが全て悪いとは言わないが、会社が放棄したがっているセーフティネットの役割を国ぐるみでどう担保するのか、その議論がすっぽり抜けているように見えてならない。


失業するのは自己責任、と突き放して見ないふりをすることができないくらいの失業者、無業者が溢れる未来を私は想像せずにはいられない。


そんな社会が到来した時、対策を打たなかったことのツケは、結局社会全体が負うことになるのだ。