un deux droit

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『最低賃金』をどう捉えるか

下書きのまま9か月も放置されていたものをいまさらアップする。

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2017.4.15

最低賃金を時給1500円以上にするためのデモがあったと朝日新聞に載っていた。

 

http://www.asahi.com/sp/articles/ASK4H46FSK4HUTIL00T.html

 

そのニュースに対するコメントで支持の多かったものが、

「まずは時給1500円分の価値を生める人間になれるよう努力しろ」というものだ。

 

つまり、薄給に甘んじているのは自分の努力のなさが原因で、それを社会のせいにするなというのが言い分なのだ。

働かざる者食うべからず。

自己責任。

一見筋が通っているようにも聞こえるが、個人レベルの話と社会レベルの話が混同している。

デモの意図は、価値提供能力が最低の人の賃金の下限を時給1500円としよう、ということだ。

それ以下の賃金では人を雇えなくするべきだという言い方もできる。

最低賃金が800円付近であるがために商売がギリギリ成立しているような事業者は淘汰される。

 

最低賃金法は個人の能力ではなく人間の尊厳の話をしている。

冒頭の働かざる者食うべからずという理屈は、

価値を生めない人間はどれだけ安く買い叩かれても文句を言うべきでない、という極論と簡単に結びつく。

下限が下がれば労働者全体の賃金の相場が下がるという簡単な理屈を経営者は悪用している。

 

だからデモは社会運動なのだ。

主張を耳にした人が賛同し、政治の投票につながり、政策が実現されることを狙っている。

最低賃金が底上げされれば、最低賃金以上で働いている人の賃金も自ずと高まる。 

 

もちろんその分、経営陣や株主に回る金の原資が目減りすることは間違いない。

しかし私は、経営陣や株主にどれほど卓越した才能があったとしても、その能力の差だけで、大多数の人間を貧困層に押しやることで生み出された富を独占していいとはどうしても思えない。

 

 

これは資本主義のシステムの話ではないから絶対にすり替えてはならない。

経営者が恣意的にいじることができる変数なんだ。

どういう社会を我々が望んでいるかという意志の問題なのだ。