un deux droit

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育休から復帰して

職場に復帰してからあまりにも時間が経ってしまった。

三つ記事を書いて、それきりブログの存在自体を忘れてしまうとは。

これもある意味三日坊主と呼ぶのだろうか。


とにもかくにも、男性社員初の長期育休からの復帰はそれほど困難ではなかった。

勤める会社は幸か不幸か、私の休んでいた間ほとんど進歩のなかったようで、

いくつかの些細な業務進行プロセスや運用ルールを失念した程度で仕事に支障はなかった。


職種は営業なのだが、休む前の顧客をそのまま渡してもらえた。

担当割り振りで意地悪されることはなかった。

おかげで今期の目標には到達できそうで、

白眼視されない程度の立場は守れた。


保育園の送り迎えについては、私が出張や

飲み会が避けられない分、

それ以外の日を積極的に私が担当することになり、

週三から四回は私が迎えに行っている。


そのため、残業は圧倒的に減った。

ほとんど定時で帰っている。


工夫としては、会議を減らした。

どうしても避けられない会議は自分が進行を仕切り、時間を圧縮した。


顧客アプローチも、今まで何でもかんでも訪問していたのだが、

電話やメールで済ませられるものは順次置き換えていった。


また、突発で業務が降ってこないよう、問題児(社内外問わず)に対しては先手を打ってこちらからアプローチするようになった。


おかげで厄介な問題になりうるタネが芽吹く前に摘み取れた。


当面の仕事はこなしていける目算が立ったが、キャリア的にこの休みがどう影響するかはまだ不透明だ。


経営陣・管理職の中には、私が残業をしないこと自体を憎々しく思う化石みたいな価値観の輩もいる。


いわゆる、営業時間中は外回りだ、社内作業は定時後にやれ、というやつだ。


たとえ目標に到達していてもお構いなし。肉体的に擦り切れるまで働くことが労働の美徳だと思っていやがるのだ。


こういう不届き者が権力の中枢にのさばり続けるなら、私はこの会社にいる限り、冷や飯食いだろう。


それならそれもやむなし。得難い経験のコストとして甘受すべきなのだ。


こういうはみだし者が肩身の狭い思いをしなくて済む社会が、遠からず到来することを今はささやかに願っている。