un deux droit

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二人目の育児で感じる焦り

楽勝である。

二人目の育児を一言で形容するならば楽勝と言うより他ない。

発生するほとんどの事象は経験済みだし、上の子の時の服やおもちゃなど環境がすでに整備されている。夫婦以外の支援体制ももちろん完備だ。

要するに、試行錯誤をすることがないのだ。

上の子の時は、この症状は何かの病気だろうかと病院をはしごし、育児本に書いてあるようなペースで成長しないことを心配してネットの情報を漁り、ちょっと頭を打ったり落っこちたりしてはパニックになり罪悪感に苛まれ、アレルギーの可能性のある食品を迂闊に与えて夜も眠れない、といった心配をあれこれとし、絶えず神経が尖った状態で摩耗していた。

振り返ると、それらの無数に発生する心配は全て杞憂であった。想像より赤ちゃんは頑丈だし、成長は個人差だ。育児に関する様々な情報は基本脅し気味に書いてある。最悪の事態を避けるためにはそれくらい慎重になった方がいいとも言えるし、万が一のことがあったときにその情報のせいとされないために発信側が予防線を張りまくってもいるのだ。

そんなわけで、どこまで推奨されるやり方に沿うかを自分の匙加減で決められるようになった。そうするともうあとは経験則を引っ張り出してくるだけなので、余裕綽々だ。

わたしはこの事態に恐れをなしている。

なぜならば、得られる経験とそれに伴う成長が乏しいからだ。

頭を使うことが正直ない、というのはわたしにとって緩慢な自殺だ。

また、この経験が社会復帰した際の資産にならなければ、キャリア上ただのブランクに成り果ててしまうのだ。

 

思うに、育児で得られる成長は二種類ある。

人間力の向上 

②コミュニケーション力の向上

の二つだ。

人間力の向上というのは、ほぼイコール忍耐力だ。育児休業中は、睡眠不足でもタスクをやり抜く。自分の計画通りに物事が処理できないことにイライラしない、はたまた同期の活躍への嫉妬心をこらえる、という具合に、不愉快に強くなる。

②コミュニケーション能力は、主に配偶者との折衝力だ。それぞれの仕事の都合、体調の良し悪し、個人の用事などをお互いに鑑みつつ、親も子もハッピーに暮らせるバランスを維持できるよう融通し合うことだ。

他にも人に優しくなれるとか、タイムマネジメント力が付くとかもあるが、大きいのはこの二つだと思う。

 

この二つの成長のうち、育児家事だけなら①人間力しか高まらない。そしてある程度の水準になったら頭打ちなのだ。乳児と向き合う上でもうこれ以上の不愉快なことは起きない。ミルクを吐かれようがおしっこをかけられようがわたしの心は動じない。仏の心で洗濯機を回し続けるだけなのだ。

②コミュニケーション能力ががしがし鍛えられるのは実は育休終了後、共働き状態に復帰してからだ。

この際に必要な折衝力には上限がないはずだ。利害関係者の人数という変数が増えれば増えるほど問題が難解になるからだ。子供一人と二人ではかかる負荷はかなり違うだろう。まだ経験はないので願望でしかないが。

話をまとめると、一人目の育休では、①が鍛えられ、仕事の復帰時には②が鍛えられた。

二人目の育休では①’があるかと思いきや、それがなくて拍子抜け、ということだ。

②’があることを信じて早く仕事に復帰したい。そう願う退屈な平日の朝だった。